「ポツンと一軒家」夫が34歳で急逝、3歳娘の一言で奮起し、世界遺産の山中で先祖の“おもてなし”を守り続ける女性
衛星写真で見つけた謎の一軒家の実態を徹底調査する番組「ポツンと一軒家」(ABCテレビ)。10月25日(日)の放送回では、奈良県のポツンと一軒家を訪れた。
【TVer】奈良県、先祖の生家跡に建てた登山客を迎え続ける“山小屋”。そこには、亡き両親の“おもてなし”を受け継ぐ女性の物語があった
奈良県の山中のポツンと一軒家を目指し、最寄りの集落に到着した捜索隊。細い山道には「小辺路(こへち)」「車両進入禁止」とあり徒歩で捜索を始めると、今度は「世界遺産熊野参詣道」という立派な案内看板を発見。この道は、和歌山・奈良・三重にまたがる世界遺産・熊野古道の一つ、高野山と熊野本宮大社を結ぶ小辺路で、捜索隊が訪ねたのは、その登山口付近にある集落だとわかった。
住民に話をきくと、衛星写真のポツンと一軒家は、かつて住居があった場所に建てられた山小屋で、現在は登山客のための休憩所として無償開放されているという。所有者はこの集落に暮らしているということで、捜索隊は、すぐにポツンと一軒家のご主人(67歳)と会うことができた。
捜索隊は、「山小屋へ行く」というご主人に同行し、距離約2キロメートルの道を進む。標高差は300メートル。これは、マンションであれば100階建てに相当する高さだ。普段ご主人が40分で進む山道だが、急勾配の連続に悪戦苦闘する捜索隊は、想定を大幅に超える80分もの時間を費やすこととなった。
ご主人の家系は、江戸時代以前からこの山深い地で暮らしており、ご主人で18代目。先祖たちは林業を営みながら、過酷な小辺路を行き交う旅人たちのために茶屋や宿を経営していたという。17代目の父親は、集落内で関西最大級の天魚(アマゴ)の養殖業を立ち上げるなど、時代の変化に合わせて逞しく生計を立ててきた。
車も通れない山中での生活は過酷で、父親は洗濯機やプロパンガスなどを担いで運んだ。産婆も呼べない環境で、5人姉妹の4女として生まれたご主人も、祖母に取り上げられた。そんな山暮らしの終わりを告げたのは、ご主人が14歳(中学校2年生)の時。父の体力の衰えもあり、一家は麓へと引っ越した。
ご主人は高校進学で実家を離れ、卒業後は和歌山市内のデパートの食料品売り場で働いた。平成元年に父親が他界したことを機に、一人残された母親を支えるため帰郷。その後、地元のホテルで働き、料理長を務めていた男性と結婚。しかし長女が3歳の時に、夫が34歳で急逝。悲しみに暮れる中、3歳の娘の「泣いてばっかりいても、お父さんは帰ってこないよ」という言葉に奮起したという。
人が住まなくなった山の上の生家は、荒廃。行く末を案じていた頃、手入れをしきれなくなった山の高野槙(コウヤマキ)を譲った相手が、そのお礼として高野槙を使って東屋を作ってくれた。
その東屋を見た小学生になった娘が、「私も(お母さんのように)ここから学校に通ってみたい」と言い出した。ご主人はその願いを叶えるために、骨組みだけだった東屋のDIYを開始。友人たちに協力してもらいながら、人が泊まれる山小屋を作り上げた。完成記念にもらった40キロのダルマストーブは、半分に分解してご主人が担いで持ってきたのだそう。
現在はこの山小屋を無償で開放。悪天候や疲労に見舞われた登山者たちのオアシスになっていることは、置いてあるノートからもうかがえる。海外の登山客からの感謝の言葉も綴られている。この日は常連の登山仲間が集まって萱小屋に宿泊するというので、ご主人がみんなで一緒に食べようと差し入れを用意してきた。
さまざまなおもてなしで登山者を喜ばせているご主人。今後は「子供の頃、夕日を見ながらお風呂入ったので、お風呂を作りたい」という目標も語ってくれた。
世界遺産・熊野古道にポツンと立つ山小屋。かつてここにあった生家で、両親は疲れた登山客を招き世話をしていた。その心を受け継ぎ、生家の跡地に建てた山小屋が、今や国内外の登山客に愛される場所に。次は子供の頃に入った夕日が見えるお風呂を再現し、登山の疲れを癒してほしいと願うご主人。山の上での奮闘はまだまだ続く。
ゲストに森口博子と松岡卓弥(MATSURI)を迎えたバラエティ番組「ポツンと一軒家」(ABCテレビ)は、10月25日(日)の放送で紹介された。

















