なぜそこだけ雑に積まれた? 和歌山城の“ヘタクソな石垣”に秘められた、重い真実とは

和歌山のシンボルとして親しまれる、和歌山城。
徳川御三家のひとつとして長い歴史を刻んできた和歌山城は、豊臣秀吉から命じられ、弟の秀長が築城した。2026年大河ドラマで描かれている“豊臣兄弟”が手掛けた名城だ。そんな美しき城に、周囲とは明らかに異なる“ヘタクソな石垣”が!?
ABCテレビ福井治人アナウンサーから今回の謎を告げられたA.B.C-Zの塚田僚一も、思わず

「(ヘタクソなんだったら)つくり直して!」
と叫んでしまう、“ヘタクソな石垣”の正体を調査した。
【TVer】塚ちゃんの「それいいじゃん!」に、スタジオコメンテーターが「アレみたい!」と思わずツッコミ?
大手門から一歩足を踏み入れると、さっそく目の前には立派な石垣が。和歌山城の石垣は、時代によって石の加工や積み方の技法が異なるのが特徴なのだという。

- 野面積み(のづらづみ):1585年の築城当時、自然石をそのまま加工せずに積んだ最も古い技法
- 打ち込みハギ・切り込みハギ:石の加工技術が進んだ徳川時代の美しい技法
この3種類の石垣を一度に堪能できる見応え抜群のスポットだが、歴史探訪を進めるふたりの前に、突如として「異質なスポット」が現れる。

周囲の美しい「野面積み」に挟まれるようにして、石がバラバラかつ大ざっぱに積まれた一角……思わず「ヘタクソかもー!」と声を上げてしまうほどの違和感だ。

なぜこの場所だけ、これほど雑に石が積まれているのだろうか?

ふたりは「お殿様が使っていた天守閣への秘密の抜け穴(裏ルート)を、平和になった江戸時代に埋めた跡ではないか?」と推測する。
そこで、ヒントを求めて歴史探訪プランナー・森なおみさんに電話すると、驚きの事実が告げられる。
「その石垣は積み直して…います!」
なんと(珍しく!)ふたりの推測がばっちりヒット。しかし……

お殿様は関係なし。
森さんが新たなヒントとして提供してくれたのは、
「命に関わるほどの出来事が原因で積み直すことになった」
という事実だ。

「命に関わる」という重いキーワード、そして「天守閣に登り、全体像が見えない違和感のあるものを探して」というヒントをもとに、天守閣へと向かった塚田と福井アナは、眼下に広がる景色の中から、コンクリート製の古い小屋を発見する。

近くまで行くと、そこは井戸の跡?(※実際は貯水池)
日常用水、そして籠城時の非常用水として使われた「水」こそが、命に関わる問題だ! と確信したふたりは、自信満々に「不要になった井戸を埋めて石垣を積み直した名残」と結論付けるも———まさかの0点という結果に。

「和歌山城に謝って」
森さんに、散々な言われようのふたり……。
和歌山城の歴史は、そんなふたりの想像を遥かに超える、壮絶な過去を秘めていたのだ。

森さんがヒントにしていたのは、天守閣からは木に隠れて全体が見えなかった広い公園。そこに佇んでいたのは「戦災殉難者供養塔」だ。

このヒントから導き出されるべき”ヘタクソな石垣”の正体……それは、太平洋戦争中に掘られた「防空壕の跡」だったのだ。

1945年、和歌山市内はアメリカ軍による大空襲に見舞われた。この和歌山平野には近くに避難できる山がなく、唯一の逃げ場となったのが、和歌山城が立つこの「虎伏山(とらふすやま)」だった。

市街地が大火災に包まれるなか、少しでも多くの命を救うため、空襲に耐えうる固い岩盤を持つ和歌山城内の貴重な石垣を外し、5つもの防空壕が掘られたという。
戦後、防空壕は埋め戻され、外された石垣も再び積み直された。しかし、復元することは難しく、結果として周囲の美しい石垣とは異なる“ちぐはぐな積み方”になってしまったのだ。
お堀の改修などが進んだ現在、城内に掘られた5か所の防空壕のうち、その名残をはっきりと確認できるのはあの”ヘタクソな石垣”の1か所だけとなっている。
一見すると不格好に見えるその姿は、戦火から必死に人々の命を守ろうとした激動の時代の記憶であり、和歌山城が現代に伝える大切な歴史のメッセージだったのだ。
和歌山城を訪れた際は、ぜひその足元に眠る歴史の重みにも思いを馳せてみたい。
この調査の模様は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「福井✕塚田のなんでやねん!?」6月9日放送回で紹介された。



