豊臣秀長のお城に「もうひとつの奈良ホテル」!? 郡山城に佇む美しいレトロ建築の正体とは?

奈良県大和郡山市にある、豊臣秀長ゆかりの「郡山城」。
その美しい城内に、なんと「もうひとつの奈良ホテル」と呼ばれる建物が存在するのをご存じだろうか? 明治の近代化を象徴する名門・奈良ホテルにそっくりな、和の風格漂う謎のレトロ建築。一体なぜお城の中にこのような建物があるのか?
A.B.C-Zの塚田僚一が「ないよ! 見るまでは信じない!」と言うその建物の歴史と真実に、ABCテレビ福井治人アナウンサーとともに迫った。
【TVer】スタジオには河合が出演! 終始いろいろ複雑な感情が入り乱れて・・・
■創業170年の酒蔵へ! 塚田の“禁じ手”にツッコミ炸裂?

城内に突如として現れるその建物。
外観は和風建築でありながら、どこか洋風の要素も感じられ、多くの窓が並ぶ様子は確かにホテルの客室のよう。しかし、現在は『郡山城址会館』と呼ばれている。

この一見奈良ホテルのような建築物は、そもそも何だったのか?
建物のすぐそばで「ぼうせきの煙突」という石碑を発見したふたりは、歴史の手がかりを求めて城下町へ。そこで立ち寄ったのが、ペリー来航の年(1853年)から続くという創業170年超の老舗『中谷酒造』だ。
店主の中谷さんに建物の正体について尋ねると「知っています」と頼もしい返事が!
すると、答えを早く聞き出したい塚田が———

「ちょっと、お酒飲みません?」と、まさかの“お酒で買収”しようとするお茶目な一幕も。これには福井アナから「聞き出そうとしません!」とすかさずツッコミが飛び、笑いに包まれた。
結局、中谷さんからは「昔、駅の近くに大きな紡績工場があって栄えた」という歴史を聞くことができたが、奈良まほろばソムリエの藤井哲子さんに推理の方向性を確認してみると「紡績とは関係がない」という衝撃の答えが・・・。
謎を解くヒントは、なんと京都の岡崎公園周辺にあるという。
■「大きな窓」が語る真実。塚田の推理がドンピシャに!
藤井さんいわく、問題の建物は「近代化と西洋化が進む当時、これからの日本に必要になるとして全国に一斉に建てられた公共施設」。
「同じ役割を持つ現役の建物を探して」というヒントをもとに京都へ向かうと、そこには「京都府立図書館」の姿があった。

一見すると郡山城の建物とはデザインが異なるものの、塚田が建築上の「ある共通点」を発見する。

それは、壁一面に設けられた「大きな窓」。
まだ電気が十分に普及していなかった明治時代、窓から注ぐ太陽の光は、室内で快適に読書をするための貴重な光源だ。

この構造から塚田は「建物の正体は図書館だ!」と見事にひらめく。
藤井さんにこの推理をぶつけると———「お見事、100点!」という大絶賛の声!

見事100点満点を獲得した塚田・福井コンビは「光が差し込んだぞ!」と大喜び。
チームワークの良さが光る最高の瞬間となった。
■日露戦争の勝利と、人々の想いが詰まった「奇跡の生き残り」

あの建物の正体は、明治41(1908)年に建てられた奈良県初の公立図書館(旧奈良県立戦捷記念図書館)。
明治後期、日露戦争の終結を機に、日本が欧米列強と肩を並べるための国民の知識・科学技術の向上(社会教育のレベルアップ)をめざし、全国各地で一斉に図書館を建てるムーブメントが起こった。
地方自治体にとって「日露戦争の勝利記念(戦捷記念)」を掲げることは、以下のような大きなメリットがあったという。
・議会の認可や予算が下りやすくなる
・篤志家や地域住民からの寄付が集まりやすくなる

実際にこの図書館も、建築費の大半が奈良県民の寄付によって賄われて建ったもの。館内には戦没者の遺品や記録も展示され、人々を弔う気持ちも込められた、地域にとって非常に大切な場所だったのだ。
■昭和に郡山城へ移築、いまや激レアな歴史的遺産に
長年、奈良県庁の前で多くの人々に親しまれてきた図書館だが、昭和43(1968)年の建て替えに伴い、本館のみが現在の郡山城内へと移築された。
当時、全国に建てられた「戦捷記念図書館」の多くは、先の大戦の空襲などで焼失。形を変えながらも、当時の美しい明治の建築がそのまま現存しているのは、全国的にも極めて稀で貴重なケースなのだ。
さて、今回のスタジオにはもう一組のNDYでもあるタレントの河合郁人が出演!
「100点は5回目」という塚田・福井コンビの仕事ぶりを見つめる視線にも要注目だ。
今回の調査の模様は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「福井✕塚田のなんでやねん!?」7月7日放送回で紹介された。



