“相撲発祥の地”でアナウンサーがガチンコ相撲対決!? 日本最古の国道「竹内街道」を歩く旅がついにゴールへ!
ABCテレビの柴田博アナウンサーと中村想人アナウンサーが、古くから街と街をつないできた「街道」を歩きながら深い歴史や人の営みに触れ、街の魅力を再発見する「柴田・中村の街道しゃべ歩き」。今回は「竹内街道」の最終章をお届けします。
613年、推古天皇が大阪から当時の都・飛鳥を結ぶ道として整備した日本最古の国道「竹内街道」。大阪・堺市から奈良・葛城市を結ぶ全行程26kmのうち、およそ20kmを歩いてきた2人が、いよいよ竹内峠を越え、ゴールへと向かいます。
竹内峠は、竹内街道の最大の難所。ひたすら続く坂道を上りながら、柴田アナも心なしか息が上がってるようですが、それでも、中村アナとのおしゃべりは止まりません。
「小野妹子もここを通ったのかな?」と柴田アナ。しかし、妹子は有力者ゆえに「たぶん(自分では)歩いてないです。カゴか馬ですよね?」「下々の者たちが権力者を支えながらいくわけですね」と中村アナがつっこむと、柴田アナは「権力がほしい!」と心の叫びを漏らし…。
そんなとりとめのない話をしながら歩いていると、前方に見えてきたのは「奈良県」と書かれた標識。ついに県境を越え、大阪府から奈良県に突入です。「とうとう来ました!」と感激しきりの2人は、ここから峠を下り、葛城市内へと入っていきます。
二上山を背に進んでいくと、「相撲開祖當麻蹶速の塚」という石碑を発見。ここで當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)という人物が「初の天覧相撲」を行ったそうですが、竹内街道とも何か関係があるのでしょうか?
教えてくれるのは、おなじみの本渡章先生。作家で古地図コレクターでもある歴史マスターが、この地と相撲の深いかかわりを解説してくれました。
日本で初めて相撲をとったとされる當麻蹶速と野見宿禰。垂仁天皇の前で試合をしましたが、敗れた當麻蹶速は骨を折るケガをして亡くなったそう。その蹶速の出身地がここ葛城市で、後に「相撲発祥の地」と呼ばれるようになったといいます。
なぜ敗者の出身地をこうして後世に伝えるのか? その背景には「敗れた側のものをいただき、その命を継ぐ」という古代人の独特の考え方があるよう。実際、勝利した宿禰は、もともと蹶速が持っていたこの土地を手に入れて活躍していたそうで、後には古墳を作る仕事にも携わったとのこと。古墳の資材や人を運ぶ役割を担った“街道”と“相撲”の伝説が「ひとつ繋がったことにビックリ」と柴田アナは目を丸くします。
相撲とゆかりの深い葛城市には、相撲館「けはや座」という施設が。中には本格的な土俵があり、この日は相撲教室も行われているということで、柴田アナ、中村アナも参加させてもらうことにしました。
稽古をつけてもらううち、「楽しさ知っちゃった」と相撲にすっかりハマってしまった柴田アナ。そこで、葛城名物のおいしい和菓子をかけ、中村アナと勝負することに!
相撲教室の子どもたちも見守る中、全力でぶつかり合う2人。しかし、柴田アナは最近悩まされている「五十肩」のせいで体が思うように動かず、中村アナの勝利となりました。ご褒美の和菓子を「食べます?」と分けてくれようとしているのに、「後輩の情けはいりません!」と意地を張る柴田アナ…。
さて、2人が相撲を取っている間に、外はもう日が暮れていました。この日は中秋の名月。美しい月に照らされてさらに歩いた2人は、ゴール地点の「長尾神社」に到着! 全行程26km、多くの出会いと発見に満ちた旅を「思った以上にドラマが詰まってました」「(さまざまな街の)違う雰囲気をここまで再発見できるとは」と感慨深げに振り返っていました。
「柴田・中村の街道しゃべ歩き」は、10月23日(木)放送の『newsおかえり』(ABCテレビ 毎週月曜〜金曜午後3:40〜)で紹介しました。












