妖怪の呪いか!? 河合郁人、今回も“珍推理”で大阪・都島の交差点にある“謎の石柱”の秘密に迫る!

タレント・河合郁人とABCテレビ福井治人アナウンサーが訪れたのは、多くの車が行き交う都島本通交差点の北東角。そこにポツンと佇んでいたのは、不思議な形をした石の柱!?
今回は、この“石柱”の謎に迫る。

なんとなく鳥居の形にも見えるこの石柱を前に
「昔からここに神社があって、マンション建設など再開発のなかでこれだけ残したのでは?」
と予想したふたり。そこで早速発見したのは「都島神社」だ。


美しく整備された境内を観て「新しそうだ」と感じた河合。もしかすると、この神社は昔、あの交差点にあったのでは? と推測するも……
神社の方の答えは「平安時代からずっとこの場所にあります」。
都島神社は、なんと遡ること866年前に後白河法皇が創建したという歴史深い神社! 瞬殺で“都島神社説”は撃沈してしまった。

続いて、商店街周辺を大捜索したふたりは、1153年に建立されたという「鵺塚(ぬえづか)」を発見する。

鵺(ぬえ)とは、頭がサル、胴がタヌキ、四肢がトラ、尾がヘビの姿をした伝説の妖怪。これを見た河合は

「石柱は妖怪の呪いを防ぐためのものなんじゃないの?」と色めき立つ。
そこで、大阪の街の歴史ならこの人、歴史探訪プランナーの森なおみさんに推理の方向性を確認するが———

「だから0点なのよ!」とバッサリ斬られてしまう 。
森さんが教えてくれた重要な手がかりは、次のとおり。
・その石柱はかつての都島を象徴するほど大事なもので、昔は街中にいっぱいあった
・今の大阪の街の土台に関わる大きな出来事がきっかけで姿を消した

0点を連発する河合のために、さらに
「東側の公園で石碑を探して」
という、スペシャルヒントも出してくれた森さん。
ふたりは、「公園+石碑」を探しにふたたび街へと繰り出すのだった。
■地形に隠されたヒントと「水門」のひらめき

原点に立ち返った河合は、石柱の下部に板をはめ込むような溝があることに気づき、あることをひらめく。
「これは水を止めたり出したりする水門の形だ!」
確かに、都島は昔から水害が非常に多い土地だったため、この水門という線はかなり濃厚だ!

さらに歩いていると、斜めにひたすら長く続くちょっと変わった児童公園に遭遇。近隣住民に話を聞いてみると、驚きの事実が判明する。
それは———

「ここは昔、川だった場所を埋め立てて公園にした」というのだ!
ますます、水門の存在が大きくなってきた。
しかしこの公園には、森さんのヒントにあった石碑はない様子。
そこで、別の公園を調査した二人は、とうとう地下鉄開通の記念碑を発見!

この石碑から、「昔はたくさんの川と水門があったけれど、地下鉄を通すための都市開発で川が埋められ、水門も必要なくなって姿を消した」
という最終予想を導き出し、自信満々で森さんとの答え合わせへ挑む!
■ついに判明! 大阪の発展を支えた大プロジェクト

満を持して答えをぶつけたふたりだったが、森さんから言い渡された点数は
まさかの「20点」。
いや、点が付いただけでも“高得点”……と、微妙な面持ちの河合。
今回の謎には、地下鉄の開通よりもさらに昔……その重大な歴史が隠されていたのだ。

森さんに案内されたのは「都島公園」。そこには、巨大な「都島土地区画整理記念碑」が建てられていた。

実は、明治から大正時代にかけての都島は、大部分が田んぼや畑の広がるジュクジュクした低湿地帯(農業地)だった。当時、人口が急増していた大阪市は、この湿地を人が住みやすいキレイな街へと生まれ変わらせるため、大正14年(1925年)から徹底した排水工事と「土地区画整理事業」をスタートさせたのだ 。
これこそが「大阪最初の区画整理」のひとつであり、ここで大成功した都市づくりのノウハウが、その後の大阪全体の街づくりへと発展していった。
つまり、交差点にポツンと残された謎の石柱の正体は、田んぼの水路をコントロールしていた「水門」。その存在は、今や都市部となった都島が、かつて一面農業地だったことを示す、極めて貴重な痕跡だったのだ。

スタジオでは、“貴重な20点”獲得に拍手喝采で迎えられた河合と福井アナ。
次回は、この高得点(?)を乗り越えられるか!?
今回の調査の模様は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「福井✕河合のなんでやねん!?」5月19日放送回で紹介された。



