「知らないのはモグリ」京都のお寺の中に“住宅街”がある!? A.B.C-Z塚田僚一、「俳優さんとかは見たらすぐわかるんですけどね」有識者からダメ出し

京都市北区にある「等持院」と記された立派な門をくぐると、そこはもちろん境内……ではなく、普通の住宅街が広がっている!? A.B.C-Zの塚田僚一とABCテレビの福井治人アナウンサーが調査すると、この不思議な住宅街に、日本屈指の施設がかつて存在したことが判明した!
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住宅街が広がっているのは、京福電鉄北野線の等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅から徒歩約5分の寺院・等持院の総門をくぐった先。等持院は、1341(暦応4)年に室町幕府初代将軍・足利尊氏によって創建。インパクト抜群な達磨図や、枯山水の庭園、京都市指定名勝・池泉回遊式庭園などが有名だ。門をくぐると、20~30メートル先まで住宅街が広がっており、お寺のすぐ近くには謎の銅像“マキノ省三先生像”がある。

関係者いわく、昔は衣笠山の麓から現在の立命館大学の敷地一帯までが、等持院の土地だったという。そのため塚田と福井アナは、「等持院の土地が売られたから住宅街になった」と推測した。

塚田と福井アナの予想は正解! 京都のミニツアー・まいまい京都代表の以倉敬之さんいわく、「門の中の住宅街がある場所に、実は昭和7年まであるモノを作る施設があった」「それがやがて閉鎖されて住宅地として払い下げられ、現在の姿になった」とのこと。あるモノとは、「京都ならではのもの」だそうで、以倉さんは世界遺産・元離宮二条城の南側を調べるよう、塚田と福井アナに指示した。

京都といえば、かつて刀鍛冶の店が多く存在した土地。そこで二条城の南側にある刀剣専門店を調査した福井アナは、「(等持院の敷地内にかつて)刀を作る施設があり、刀鍛冶職人も住んでいた」と予想した。

一方の塚田は、二条城の南側にある地域・織物屋町と、刀剣専門店にあった陣笠、そして等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅の“衣笠”から織物に着目。「(等持院の敷地内にかつて)織物工場があったが、昭和恐慌の煽りを受け倒産し、住宅街になった」と考えた。

予想が分かれたまま塚田と福井アナは、二条城の南側をとことん調査! 互いの意見がすれ違い、頭を悩ませた末に、塚田の意見を尊重することにした。


しかしその結果は、100点満点中0点! 塚田と福井アナが見つけるべきだったのは、二条城撮影所跡だ。その説明版には、「日本映画の父と言われる牧野省三」「牧野はその後、京都を舞台に数々の名作を手掛けるなど、日本映画発展の基盤が作られた」という記載が! つまり、等持院敷地内の住宅地の前身施設は、映画の撮影場所だったのだ。
牧野省三に、等持院の住職が寺の敷地を提供したのは1921(大正10)年。従来の歌舞伎調映画を革新する映画作りを目指した牧野のもとには、時代劇スター俳優・阪東妻三郎や、後に日本映画界を支える若者たちが集まった。スピーディで写実的なチャンバラアクションを取り入れた牧野の映画は、現在の時代劇の基礎になったと言われている。

牧野の等持院撮影所は、日本映画に多大な影響を与えたが、大正末期に別の映画会社の手に渡り、1932(昭和7)年に閉鎖。その翌年に競売にかけられ、現在のような住宅地になったのだった。

ちなみに、牧野家の芸能界における活躍はすさまじい。牧野の孫・正幸は、“平成の歌姫”安室奈美恵を輩出した芸能養成所・沖縄アクターズスクールの創業者だ。正幸の娘・アンナは沖縄アクターズスクールのチーフインストラクターで振付師、彼女の兄・彰宏はAKB48のプロデューサー。また、苗字は違うが、今は亡き大物俳優・津川雅彦さんは牧野家の親戚にあたる。


0点でうなだれる塚田と福井アナに、以倉さんは「牧野省三は日本映画の父ですよ。知らないのは映画のモグリです」とピシャリ! さらに塚田は、「俳優さんとかは(牧野の銅像が持っている台本を)見たらすぐわかるんですけどね」と以倉さんにダメ出しされてしまった。

なお、等持院にまつわる一連の謎は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「福井×塚田のなんでやねん!?」2月24日放送回で紹介された。
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