大阪府河内長野市でマイホーム購入のために2週間も雑魚寝泊まり込み待機…その報酬は破格の金額だった!

1970年に開催された大阪万博から早55年…。万博開催が3ヵ月後に迫った1969年12月には、大阪府河内長野市のニュータウンの宅地分譲に密着した、ドキュメンタリー映像が放送されていた。先着順のため、土地を購入したい人達はアルバイトを雇い、2週間以上も泊まり込みで並ばせたという。

【動画】大阪府河内長野市のとある駅前分譲地を購入した現在88歳男性「大学生を泊まりきりで1週間雇った」当時の衝撃裏話について語る

ドキュメンタリー映像の舞台は、大阪府河内長野市のとある駅前分譲地だ。分譲地の最寄り駅から大阪のターミナルまで行くには、急行に乗り継いで40分少々。分譲地は、駅から徒歩7分ほどの場所にある。その徒歩圏内には、学校や病院、スーパーマーケットなどが揃っておりながら、田畑もあって適度にのどか。つまり、家族で住むには好条件の立地だ。

高度経済成長期だった当時は、マイホームの夢をかなえようと、多少背伸びをしてでも土地の購入を検討する人が少なくなかった。河内長野市のとある駅前分譲地は、先着順での購入だったため、どうしても土地が欲しかった人々はアルバイトを雇い、待合室に泊まり込んで待機させたというのだから驚きだ。

アルバイトの仕事は、午前10時と午後3時、10時の点呼の際に待合室にいること。点呼の際に不在だった者はもちろん、夜間に待合室へ泊まらない者も、土地の購入資格が無効になるため、なかなかハードだ。

待合室の待機者の多くは、マイホームとは程遠いアルバイトの学生たち。そのほとんどは、点呼1回1000円×3、宿泊2000円という、当時としては破格の1日5000円で雇い主と契約した。学生たちは、狭い待合室で下馬論争や麻雀、トランプのほか、寝転がってギターを弾くなどして、自由に待機時間を過ごした。彼らは、抜き打ち点呼で無効になる大人とは違って仲間もいるため、外出がしやすくて団結力もあるのが強みだ。

雑魚寝で夜を過ごす待機期間は、最長で2週間と少々。分譲地の購入当日は、そのほとんどが売れ、学生アルバイトたちは、開放感と契約金ゲットでウキウキだ。しかし、中には気が変わって待合室に現れない購入検討者もおり、骨折り損のくたびれ儲けになった学生アルバイトも少なくなかったようだ。

なお、このドキュメンタリー映像は、6月2日にABCテレビで放送された番組『1970→2025 万博が“つなぐ”関西の半世紀』の第3回「雑魚寝の報酬」内で紹介された。同番組では、物語の舞台となった、大阪府河内長野市のとあるニュータウンの現在にもカメラが迫った。

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