小堺一機 「毛根が消えていったんです…」
お昼の生放送のMCを31年間務めた小堺一機が、番組開始当初の苦悩を語った。28歳でMCに抜擢された彼に、当初プロデューサーは「遊びに来る感じでいい」と言っていたが、番組の低迷が続くと態度を急変させたという……!?
小堺がMCを務めた人気番組とは、フジテレビの平日午後1時から1時半に生放送されていた「ライオンのいただきます」(1984年〜1990年)と「ライオンのごきげんよう」(1991年〜2015年)のこと。「いただきます」の開始当初、小堺はまだ28歳。同番組の前の時間帯で1982年に始まった「笑っていいとも!」は、すでに大人気番組になっていた。
そして「笑っていいとも!」と「いただきます」両方のプロデューサーを務めたのが、フジテレビの名物プロデューサーとして知られた横澤彪氏。小堺は番組開始前、横澤氏から「小堺クン、タモさんにも言ってんだけど、生放送で毎日だから、仕事だと思うと嫌になっちゃうから遊びに来る感じでいいんだよ」と言われたという。
ところが、いざ番組が始まると、「(自分が)喋れないわ、おばさんたちは放送禁止のこと言っちゃうわ」であたふたし、「客も笑わない」時期が続いたと回顧。当時の新聞には「『笑っていいとも!』の後で見てられない。消えていただきます」という記事まで出て、小堺は「毛根が消えていったんです」と話した。
さらに横澤プロデューサーから「小堺さん、この番組はいつから面白くなるんですか?」と詰め寄られたことを吐露すると、スタジオが騒然。小堺は「すごいでしょ。そう言われて毛根が死んでいったんです」と話し、笑いを誘った。
そして当時の「いただきます」について、「女優さん、文化人、作家さんなど3人おばさんが来て、視聴者からの人生相談のハガキをおばさんに聞くと、とんでもないことを言うんですよ。それが面白いっていうんで火がついて」と述懐。笑い飯西田が「塩沢ときさんが自分のおっぱいはめちゃくちゃ綺麗だって言ってるのを俺覚えてるもん」と語ると、小堺は「だって塩沢さん、ひどいんだから」と回顧。
「この頃ナイトライフの時、旦那が冷たくなってきました」という人生相談に、塩沢が『この方は工夫が足りないんじゃないの。私はね、穴という穴は全部使いました』って言ったんだよ」と明かすと一同が爆笑。山内は「攻め攻めの番組やったんですね」と驚いていた。
なお、この小堺一機のエピソードは、7月9日に放送されたバラエティ番組『これ余談なんですけど・・・』で紹介された。
