「どうして自分が助かったのか」JR福知山線脱線事故から20年、生き残った夫と心を病んだ妻が、あの日から向き合い続けたものは…

JR福知山線脱線事故から20年。犠牲者が最も多かった2両目に乗って生き残った男性と、車両に乗っていなかったにもかかわらず、心の病を患った妻。事故で人生が大きく変わった夫婦の今を取材しました。

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2005年4月25日、午前9時18分。兵庫県尼崎市で、JR福知山線の快速電車が制限速度を大幅に超える時速およそ116kmでカーブに進入。曲がりきれずに脱線し、線路脇のマンションに突っ込みました。

乗客106人が亡くなり、562人が重軽傷を負ったJR史上最悪の大惨事。壁に衝突して“くの字”に折れ曲がり、最も犠牲者が多かった2両目に乗っていたのが、当時35歳だった小椋聡さん(55)です。

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足の骨を折るケガをしながらも“生き残った”小椋さん。事故の4日後、取材陣に囲まれ、「どうして自分が助かったのか…」と複雑な表情で話す映像が残っています。

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あの日以来、現場で見た痛ましい光景を絵に描くなど、「あの車両に乗っていた自分にしかできないこと」と事故の惨状を伝え続けてきた小椋さんが、事故から20年の今年、「生きること」をテーマに本を出版することに。事故をきっかけにつながった負傷者ら17人に声をかけ、手記を寄せてもらうことにしました。

原稿のまとめ作業を一緒に行うのは、小椋さんの活動を支えてきた妻の朋子さん(56)です。事故は経験していませんが「事故後のことはすべて共有したい」と夫に寄り添い、当時の車内の様子を明らかにする調査に協力。さらに事故の日から、夫や自身の体調を一日の出来事とともに毎日記録するようになりました。

情報を何ひとつ取りこぼさないようにーー。取り憑かれたかのように事故と向き合い続けるうち、朋子さんは重い精神疾患になってしまいました。診断は「双極性障害」。躁と鬱が交互に訪れる病で、医師からは「一生治らない」と告げられました。

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食欲がなくなり、痩せ細った朋子さんの体重は37kgまで落ち込み、幻覚や手足のしびれにも悩まされるように。“何もかも嫌になってスイッチを切りたくなる”“聡が突然「朋ちゃんが死んだらどうしよう」と泣きじゃくって抱きついてきた”、当時の日記から朋子さんと小椋さんの苦悩が伝わってきます。

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朋子さんは二度の入院を経験。小椋さんは38歳で会社を辞め、妻のそばにいることを決めました。そして43歳のとき、兵庫県西宮市の賃貸住宅を引き払い、山間部の多可町に夫婦で移住。ゆったりとした環境の中、症状も落ち着いてきた朋子さんは、月に一度、神戸市中央区にある「兵庫県こころのケアセンター」に通院しながら治療を続けています。

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【動画】JRの脱線事故に関連して「兵庫こころのケアセンター」に通う患者の中で、PTSDなどの心の病を発症したのはおよそ100人。そのうち5人ほどが朋子さんのように負傷者の家族が発症したケースです。

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4月、小椋さんと朋子さんが17人の仲間たちと作り上げた本がようやく発売に。タイトルは『わたしたちはどう生きるのかーJR福知山線脱線事故から20年』。およそ1年をかけた本作りの集大成として、小椋さんは手記を寄せた事故の負傷者らとトークイベントを開催しました。

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1両目に乗っていて大ケガをした福田裕子さんは、20年の気持ちの変化を綴ったことで自分の内面を深く掘り下げることができ、「すごくいい機会をいただけた」と発起人の小椋さんに感謝を。そんな信頼関係も「20年という時間が経ったからこそ」と小椋さんも感慨深げです。

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20年前のあの日から「夫婦でひとつのことに向き合ってきた」こと、一緒に生きることの尊さを実感しているという小椋さんは「21年目でも22年目でも(事故に)向き合うことに関して、あまり変わらないと思う」と。これからも2人であの日を忘れることのない日常が続きます。

JR福知山線脱線事故の負傷者家族の今は、4月24日(木)放送の『newsおかえり』(ABCテレビ 毎週月曜〜金曜午後3:40〜)で紹介しました。

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