息子はなぜ命を失ったのか?津波で亡くなった25歳長男が遺した、東日本大震災の“教訓”を語り継ぐ父と母
ABCテレビの夕方のニュース『newsおかえり』で過去に放送された特集企画と、YouTube公式チャンネル『ABCテレビニュース』の特集動画から選りすぐりの作品をお届けする番組『newsおかえり&YouTube傑作選』。3月3日(月)は「伝え続ける…津波で息子を亡くした両親」と「中国を席巻する“日本のアニメ”」の2本を放送した。
「伝え続ける…津波で息子を亡くした両親」(『newsおかえり』2023年3月10日放送)では、“命を守る”行動の大切さを訴える夫婦の活動を取材した。
宮城県大崎市に住む田村孝行さん(62)と妻の弘美さん(60)は、2011年3月11日、東日本大震災で長男の健太さん(当時25)を亡くした。地震発生時、宮城県女川町にある勤務先の七十七銀行女川支店にいた健太さんは、従業員やスタッフとともに2階建ての支店の屋上に避難。ところが、海岸から100メートルほどの場所にあった支店は、建物の2倍近い高さまで達した巨大な津波に飲み込まれ、健太さんを含む12人が犠牲になった。
町の指定避難場所だった堀切山の高台までは、銀行から歩いて3分、走れば1分の距離で、避難したおよそ600人が助かっていた。高台はすぐ目の前、移動する時間もあったはずなのに健太さんはなぜ逃げられなかったのか?
その後、奇跡的に生き残った同僚の話から当時の状況がわかった。健太さんは同僚に「高台の方が安全だ」と話していたが、屋上に留まるという上司の指示に従わざるを得ず、動くことができなかったのだ。
あのとき、逃げられていさえすれば「助かるはず」だった命。健太さんの死を無駄にしないと誓った孝行さんと弘美さんは、震災の翌年から毎週末、銀行の跡地に立ち、息子を襲った悲劇を伝える活動を開始。やがて全国から多くの人が訪ねてくるようになった。
そして震災から10年後の2021年、田村さん夫妻は一般社団法人「健太いのちの教室」を設立。宮城県松島町に拠点を構えて震災の語り部となり、県外の小学生に向けたオンライン授業もこなすなどの活動を行っている。「自分の命を守れるのは自分しかいません」「自分の意見をはっきり言える人にならなければ」。孝行さんの言葉に聞き入る子どもたちの真剣なまなざしが印象的だ。
震災から12年(取材時)、今も女川町に頻繁に通う田村さん夫妻は「(活動が)私たちの生きがいになりつつある」と。「私たちの思いを次の世代にバトンタッチできれば」と息子が遺した“教訓”を多くの人に伝え続けている。
WEB企画「中国を席巻する“日本のアニメ”」(2025年1月21日配信)では、大人をも熱狂させる中国の“アニメブーム”を紹介する。
中国・上海市内の目抜き通りにある地上6階建てのビル「百聯ZX」は、全フロアをアニメやキャラクターの店が埋め尽くす「上海の秋葉原」と呼ばれるスポット。推しキャラのグッズを買い求めるファンが押し寄せ、中国ではこうしたグッズを指す「谷子(グース)」という言葉まで生まれた。
ある調査によると、中国の谷子市場の規模は日本円で約2兆5000億円と過去5年で2倍に成長。アニメや漫画などの「二次元」のファンは5億人にのぼるという試算もあるという。
そんな日本アニメのファンのひとりが鄭燕さん(31)。中学生のころにテレビで見たアニメにハマり、「主人公たちのセリフが言いたくて」言葉を学んだという鄭さんは、留学経験はないのに日本語がペラペラだ。
その後、アニメ愛が高じてグッズショップの店長に。現在はアニメグッズのライセンスに関わる仕事に就いている鄭さんは「アニメに出会って人生が変わった」と話す。
アニメはビジネスの活性化にも貢献している。前出の「百聯ZX」は、もともとは客足が遠のき、経営に苦しむ商業ビルだったが、二次元の店を入居させた途端、連日の大にぎわいに。上海ではほかにも老舗百貨店が二次元の力で次々と復活を果たしているのだ。
急速に広がり、愛される日本のポップカルチャー。日本にとっても、海外ビジネスの大きな起爆剤になるかもしれない。
