少年院から一念発起して医師になった“元非行少年” 訪問診療・子ども食堂の運営 人のためにがんばる理由は父の思いがけない一言だった
医師として働くかたわら、子ども食堂を開くなど精力的に活動する男性。彼には、高校時代に非行をくり返し、少年院に送られた過去がありました。失敗から立ち上がり、患者と子どもの未来のために奮闘する“元非行少年”を追いました。
大阪・河内長野市にあるクリニックで院長を務める内科医・水野宅郎さん(46)。「面倒見がいい」と30年以上頼りにしている男性や、顔を見るだけで「元気になる」という高齢の女性など、多くの患者の心のよりどころともなっているお医者さんです。
そんな水野さんは中学のころ、周りの友人に流されて非行に走るように。高校を数ヶ月で中退してからは覚醒剤に手を出し、購入資金を得るために自販機荒らしや車上荒らしをくり返していたといいます。そして18歳でついに逮捕。すぐに少年院に送られました。
「申し訳ないことをした」と少年院から家族に手紙を送ると、開業医だった父から返事が。5年以上も話すことがなかった父に「見捨てられた」と思っていた水野さん。しかし、「自慢の息子や」と思いがけない言葉が書かれた手紙から、父の本当の思いを知ることになりました。
この経験をきっかけに、幼いころに抱いていた夢「お父さんみたいな医者になる」を思い出した水野さんは一念発起。猛勉強の末に医学部に合格し、30歳で念願の医師免許を取得したのです。
今は亡き父の後を継ぎ、医師となった水野さんが特に力を入れているのが「訪問診療」。通院が難しい患者が取り残されないよう、地域を回ります。それぞれの訪問先で丁寧に会話を重ね、「患者さんがどうしたいか」を最優先に治療を進めていきます。
【動画】この日、訪ねたのは抗がん剤の強い副作用に苦しんでいた女性。水野さんの寄り添う治療と「励まし」で体調はみるみる回復しました。
今年6月、水野さんはひとりの訪問患者を看取りました。末期の肺の病で寝たきりだった田中輝彦さんは、少年院を出た後の水野さんを支援してくれた保護司。当時の水野さんにとって「おまえはほんまにやったらできるんやから、医師になって俺の死亡診断書を書けるようになれ」という田中さんの言葉は大きな励みでした。
あれから20年以上の時を経て、田中さんは水野さんの患者に。病の苦しさに弱気になる田中さんを励ましながら治療を続け、亡くなってから死亡診断書を書く約束も果たしましたが、「やりきった感は全然ない」と水野さん。ほかにできることはなかったのか?そんな「無力」感が胸を締めつけています。
土曜の昼、午前の診療を終えた水野さんが向かうのは自らも運営に携わる「子ども食堂」。水野さんの寄付や地元企業などの支援で、毎週土曜には昼食、平日には朝食を無料で提供。一昨年10月にオープンし、もうすぐ丸2年を迎えます。
子どもたちと接するなかで、水野さんには新たな発見が。子どもは大人が気づかないようなSOSを発する仲間を見抜く力があり、何とか助けようと食堂に連れてきてくれます。そんなとき、少し声をかけるだけで「変わる」子どもも多いのです。
「自分は応援されて医師になれたので、次は僕が応援したい」と水野さん。過去に道を踏み外し、夢を失いかけたからこそ、子どもたちが希望を持てる社会を作ることが自分の役割だと考えているのです。
元非行少年の医師の奮闘は9月25日(水)放送の『newsおかえり』(毎週月曜〜金曜午後3:40〜)の特集コーナーで紹介しました。