“生花”の仕事から “魚の行商”に転身! 京都の港町で亡き父の後を継ぎ、家業に奮闘する“三代目”の女性に密着!
思わず推したくなる人たちのお仕事に密着する「#推しごと拝見」。今回は、会社員から鮮魚の“行商”に転身した女性の1日をのぞいてみました。
京都府京丹後市。間人(たいざ)ガニなどで知られる丹後町の間人漁港に1960年代から続く魚屋さん「丸友鮮魚」。こちらの3代目・下岡千恵子さん(34)の1日のお仕事は早朝から始まります。
朝6時すぎ、自宅の隣にある作業場で、まずは前日に作った干物の出来を確認。これが終わると、ヒラマサ、ツバス、さらには宮津のタイと、慣れた手つきで次々と魚をさばいていきます。
そして8時前、車で向かったのは間人の港にある市場。仲買人や卸売業者の先輩たちと競りに参加。金額を独特の指の動きで表す姿は堂に入ったものですが、実は千恵子さん、もともとは家業を継ぐつもりはなかったといいます。
千恵子さんは大学を卒業後、生花を扱う大阪の会社に就職。ところが5年前、先代の父・興昭さんが突然倒れ、1か月後に死去。父のお客さんへの挨拶回りをする中で聞いた「(店を)続けてほしい」という多くの声が彼女の心を動かしました。
当時は魚どころか料理の経験もあまりなかった千恵子さん。しかし、父が大切にしてきたお客さんとの絆と、曽祖母の代から続く店の営業スタイルを守っていこうと決意。兵庫県の鮮魚店で半年間修業し、間人に戻ってきたのです。
「丸友鮮魚」には創業当時から魚を売る店舗がありません。千恵子さんが受け継いだ伝統の営業スタイルは「行商」。お客さんを訪ねて魚を売って回る、昔ながらの販売方法です。
店を一緒に切り盛りする母の有佳子さん(63)と車で回るのは、京丹後市や与謝野町などにあるおよそ80軒のお宅。千恵子さんが「これぞ!」と思った鮮魚や干物をクーラボックスにギッシリと並べて出かけます。
【動画】商品の数が限られる行商。それだけに“魚を選ぶ目”が売上を左右します。
この日に訪ねた先代からのお得意さんは、ハタハタやカレイなど4200円分をお買い上げ。「娘さんが継がれて、またおいしい魚が食べられる」とうれしそうです。さらに、千恵子さんの代になって利用するようになった新しいお客さんも。新鮮な魚を直接売りに来てくれる行商は「助かる」と評判も上々です。
29歳で店を継いでまもなく5年。仕入れ先を宮津や舞鶴など複数の漁港に広げて豊富なラインナップをキープしたり、加工品のインターネット販売を始めたりと、独自の工夫やアイデアで「丸友鮮魚」をさらに発展させている千恵子さん。
しかし、行商に魚の仕込みにと早朝から夜遅くまで働きっぱなし。手先には小さなケガが絶えません。それでも、おいしく食べてもらうためには、努力を惜しまないという千恵子さん。目指すのは幼いころに見た、地域で愛され、一所懸命に行商を続けてきた亡き父の姿です。
「一生続けていくこと。人に喜ばれること。それが私の仕事」と千恵子さんは笑顔で話してくれました。
鮮魚の行商のお仕事密着は8月5日(月)放送の『newsおかえり』(毎週月曜〜金曜午後3:40〜)「#推しごと拝見」コーナーで紹介しました。