京セラドーム大阪近辺に約300メートルに渡り瓦が並ぶ“瓦ストリート”があるのなんでやねん!? カギは大正時代に完成した大正橋にあった

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阪神タイガースが日本シリーズで38年ぶり2度目の日本一を決めた京セラドーム大阪。そんな京セラドーム大阪の近くに“瓦のストリート”があるという。なぜそんな通りが存在するのか。A.B.C-Zの塚田僚一と、ABCテレビのアナウンサー・古川昌希が瓦ストリートの謎に挑んだ。

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今回の謎の舞台は京セラドーム大阪付近、尻無川沿いを下流に行ったところにあるという。歩き始めてすぐに積み重ねられた瓦を発見すると、その先の道沿いに連なるようにおよそ300メートルに渡って大量の瓦が並んでいた。そこには「瓦の町」という看板や、瓦屋さんが密集していた。すぐ横を尻無川が流れていることから、運搬に便利だから瓦屋さんが集まったのでは?との予想が成り立つ。

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さらに2人は周辺に瓦屋が密集していることに気づき、その理由を考えているところで江戸時代創業という瓦屋さんを発見。ここで古川アナは、過去の「なんでやねん!?」で大阪・瓦屋町が舞台となった際、良質な土が採れたため瓦職人が多く住んだという事実があったことを思い出し、瓦ストリートも同じではないかと推測。塚田も「調子いいよ!」「それしかないっしょ!」と古川アナの推理に同調する。

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ここで歴史探訪プランナーの森なおみさんに方向性を確認。土はまったく関係なかったが、川は関係あり。“あるものが完成”した結果、瓦屋さんが南堀江周辺から現在の位置に移動したというヒントを得た2人は、尻無川と木津川の分岐点周辺を念入りに調べることにした。

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分岐点には水門があり、一行は対岸まで調査範囲を広げた。大正時代の幕開けを告げたという、当時日本一長かったアーチ橋である大正橋を渡った先で意味ありげな石碑を見つけた塚田&古川アナは、説明板から江戸時代に大地震による津波被害で多数の犠牲者が出た歴史を知る。

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津波被害の対策として水門が造られ、瓦の運搬に木津川が利用できなくなったために瓦屋さんは尻無川沿いへと移ったのだろう、ともっともらしい予想をした2人。自信満々で森さんにプレゼンするも、結果は「ゼロ中のゼロ」という酷評。実は、スルーしてしまった大正橋こそキーポイントだった。

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瓦ストリートは瓦の生産地ではなくその逆の集積地で、淡路島から木津川を通って淡路瓦が届けられていた問屋街だった。しかし、大正橋が完成したことで瓦を運搬する船がその下を通りにくくなってしまったのだ。また、材木運搬船とのすれ違いで転覆する危険があるなど木津川はもともと瓦の運搬に不向きだったといった理由もあり、大正橋完成と同時期に護岸工事で広くなった尻無川が瓦の運搬に使われるようになったため、瓦屋さんが尻無川沿いに集まったという。

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最盛期だった昭和初期には、日本屈指の瓦問屋街となった尻無川沿いに40軒以上の瓦屋が立ち並んでいたそうだ。 スタジオでは、手厳しい森さんの採点に共演者から笑いが起こると、「電話でヨイショして、持ち上げて持ち上げて」と今後のアドバイスも…? 視聴者からもX(旧ツイッター)で「0中の0点…すごい表現」と驚きの声が寄せられた情報番組『news おかえり』の人気コーナー「古川×塚田のなんでやねん!?」12月5日放送回は、動画配信サービスTVerにて無料配信中だ。なお『news おかえり』は、毎週月曜~金曜午後3時40分よりABCテレビで放送中。

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番組情報

河合&A.B.C-Z塚田×古川アナ「なんでやねん!?」(news おかえり)
毎週(火)

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