神戸・長田に“うなぎの寝床”な公園があるのなんでやねん!? 直感が冴え渡る河合&古川アナ、なるか!? 久々の0点回避!!
A.B.C-Zの河合郁人とABCテレビのアナウンサー・古川昌希が兵庫県神戸市長田区にある「うなぎの寝床」な公園の謎に迫った。療養期間を経てスタジオ復帰したばかりのためファンデーションの色がわからず、“顔が白い”とツッコまれまくりのA.B.C-Zの塚田僚一がスタジオで河合&古川の名推理を見守った。
神戸市長田区、巨大な鉄人28号をバックにJR新長田駅周辺から「うなぎの寝床」な公園を探し始めた河合&古川。「うなぎの寝床」とはうなぎが好むような間口が狭く細長い間取りを表現する言葉で、線路沿いを三宮方面へと歩いていた2人は裏路地に細長い公園を発見した。
「これ絶対何かあったね」と河合が確信したその公園は、南北におよそ10メートル、東西におよそ85メートルとまさに“うなぎの寝床”そのもののような公園だった。まっすぐ進むと線路に当たることや、その細さと長さから2人は「もともと電車の車庫だったのでは?」と予想。
安直すぎるとは思いつつも、付近にある線路の方向へと歩みを進める2人は、線路が以前分岐していたことを思わせる、途中で途切れた分岐線を発見。ちょうど途切れた延長線上に公園が存在することから、もともとは公園方向へと線路が伸びていたのではないかと考えた一行は、公園の反対側を調査してみることに。
すると古川アナは、公園の先の家の建ち方が公園と同じラインであることに気づいた。過去の経験から、建物が同じ幅でまっすぐ立ち並ぶ土地はだいたい線路跡であることが多い。調査を進めるためにさらに先へと進むと橋が出現。さらに河合が少年のような顔で橋の先に踏切を発見した。
発見した線路はなんと2022年5月17日に放送された「神戸市内なのに朝夕しか電車が走っていないのなんでやねん!?」で調査した和田岬線だった。さらに、同放送回は“100点獲得”回。もはや確信に近い形で2人は「新長田駅方面から和田岬線につながる別ルートがあり、公園はその痕跡である」と予想をたてた。
順調に進んでいたかと思われた2人の推理だったが、方向性を確認するために鉄道ライターの井原薫氏に電話をしたところ、残念ながら公園は線路の跡ではないことが判明。天を仰いだ2人だったが、井原氏は、そこは鉄道路線の計画がされ用地までは確保しつつも事情が変わったことで中止となった、いわゆる未成線の名残であることを明かした。加えて、そのルートは和田岬線へ向かうものではなく、さらにその先に神戸にとって非常に重要な役割を果たす場所があったというヒントをもらう。河合&古川アナはその痕跡を辿るべく大輪田橋へと向かった。
大輪田橋では1945年の神戸大空襲で黒く焼け焦げ、1995年の阪神淡路大震災で折れてしまった親柱を発見。古川アナは戦争が未成線を造らなかった原因なのではと睨んだ。
さらに先へと進むと中央市場へと進む案内看板と、初代兵庫県庁を復元した県庁館を発見。県庁館へと足を運んだものの時代的に鉄道と関係ないことがわかり、その先にある神戸市中央卸売市場へ。
市場からこれまで辿った方向を眺めた河合は、「建ててある場所も完璧な気がする」と路線が繋がっていればうなぎの寝床な公園に繋がると確信。「“うなぎの寝床”な公園を通る予定だった未成線の目的地は神戸市中央卸売市場だったが、戦時中に空襲を受け断念したことで公園になった」と予想した。
この推理に鉄道ライター井原氏の評価は30点。久々の0点回避も微妙な結果に「だったら0点のほうがいい」と河合も嘆いたが、市場というキーワードが当たっていたことが30点の理由だった。実は2人がまったく見向きもしていなかった通りの先に、証拠となる線路が存在。和田岬線から分岐した線路が兵庫港と市場へと繋がる兵庫臨港線という線路があったのだ。兵庫臨港線は1984年まで神戸の経済や生活を支える重要な物流として活躍していた。
“うなぎの寝床”な公園は兵庫臨港線へのショートカット予定地として用意されていたが、高度経済成長期に物流の主役が鉄道から車へと変化したことで不要となったことから実現せず、あのような形の公園になったそうだ。
スタジオでは、明確な証拠がないのに話を進めたことを指摘された古川アナは「河合さんは海鮮丼早く食べたかったんでしょうね、市場の隣でね」と裏話を暴露していた。今年中に「あと2回100点取ります」と河合が宣言した情報番組『news おかえり』の人気コーナー「古川×河合のなんでやねん!?」10月10日放送回は、動画配信サービスTVerにて無料配信中だ。なお『news おかえり』は、毎週月曜~金曜午後3時40分よりABCテレビで放送中。