「ポツンと一軒家」結婚をあきらめ、長男としての務めを果たす76歳。自衛隊ヘリで救出された災害を乗り越え、守り続ける大切なものとは?

衛星写真でみつけた謎の一軒家の実態を徹底調査する番組「ポツンと一軒家」(ABCテレビ)。2月22日(日)の放送回では、熊本県のポツンと一軒家を訪れた。

【TVer】3月8日放送「春の2時間SP!」にも、この回の“ポツンと一軒家”ご主人が再び登場!

空港から車で3時間。最寄りの集落への道のりが、すでに“ポツンと一軒家”へ向かうような山道。あちこちに土砂崩れの形跡もある。集落で出会った90歳の女性に話をきくと、土砂崩れは令和2年7月、熊本県を中心に九州地方に戦後最大級の洪水被害をもたらした豪雨の爪痕。当時は“ポツンと一軒家”へ通じる道路も完全に寸断され、住民たちは3年7カ月もの間仮設住宅で暮らしていたという。

女性に住人の情報をきいた捜索隊は山道を進み、“ポツンと一軒家”の主に出会うことができた。男性は76歳、一人暮らし。隣の4軒がいなくなり、ここが“ポツンと一軒家”になって20年ほどだと語ってくれた。

令和2年の災害時は家の前にある川が氾濫。家は無事だったが道路は分断されて、孤立。電気も止まり、軽トラのラジオで状況確認をしていたところ、4日後に自衛隊のヘリコプターで救助された。そこから4年間、仮設住宅で暮らし、実家である山奥のポツンと一軒家に戻ってこられたのは、1年半前だという。

男性はこの家で、35年間、炭焼きをして生計を立てている。窯の中で3日ほどかけて木を組み、800度で2日半焚き上げると熱分解による炭化(たんか)が始まる。着火後4~5日かけて炭化を進行させ、冬場は5日ほどかけて自然冷却する。出来上がった炭は、焼き鳥の専門店やバーベキュー用として販売。年間15トンもの炭を作る。仮設住宅で暮らしていたときも炭を焼き続け、分断された道路を2台の車に積み替えて炭を運んだ。

先祖は明治初期にこの地に入植。戦前は焼き畑農業で自給自足し、現金を得るために冬場に炭を焼いていた。母屋は築130年。今は掘りごたつを囲炉裏に改装。薪ストーブの前が男性の特等席だ。木挽きをしていた祖父が山から切り出した一枚板戸がこの家の自慢の品。ヤマメのいる透明度の高い山の湧き水を飲用にしている。

父親が会社勤めをしていた家に、男2人・女2人、4人きょうだいの長男として生まれ育った男性は、高校卒業後に地元を離れ、兵庫県にある、船や火力発電設備を作る会社に就職。 享年41で亡くなった父親の代わりに21歳から長男として一家を支え、弟の学費も工面し大学を卒業させた。 30歳で会社を辞め、実家である熊本県の山奥のポツンと一軒家へ戻ってきたという。長男として、家を守るのは“俺しか居ない”と責任を感じていたのだ。

月給のない山暮らし。「自分だけならなんとか食っていける」と、結婚はあきらめた。たった1人で山の整備をしながら杉や檜の苗木を植え、2万本近く植林したが、10年で手持ちの資金が底を突いた。 そこで41歳の時に、現金収入を得るために始めたのが、不要な天然木を間伐して炭にする炭焼きの仕事だった。 以来35年、男性はずっと炭焼きの仕事を続けている。

この日も切った丸太を割って次に焼く炭の準備をしていると、幼なじみや近所の人たちが男性の家に集まってきた。仕留めたイノシシで「牡丹鍋会」を開くという。牡丹鍋のほかにも、地元で獲った鮎の塩焼き、鹿肉の天ぷら、イノシシの骨を煮込んだ「骨かじり」や零余子(むかご)のおにぎりなどのご馳走が囲炉裏端に並び、楽しい時間を過ごす。

男性は山を離れない理由を「子供の時から山川で遊んでた故郷ですから。水も美味しいし、春夏秋冬の景色もいい」と語り、「何でもお金で買える時代。でも、じいさんが作った板戸はもう作れない。跡を継いで山で暮らしてみたいという人が居れば、ここを譲ってやろうかな」と笑う。

30歳で安定の仕事を捨てて実家の山と家を守っていく覚悟を決めた男性は、 大災害を乗り越え、今日も炭作りに精を出す。 子供の頃から飽きることのない故郷の自然の美しさに心躍らせる76歳。 じきに白く化粧する山の中、美しい湧き水と山の恵みで英気を養い、厳しくも楽しい冬を越す。

ゲストに安藤和津と松本穂香を迎えたバラエティ番組「ポツンと一軒家」(ABCテレビ)は、2月22日(日)の放送で紹介された。

ABCテレビ・テレビ朝日系列「ポツンと一軒家」は、毎週日曜ごご7時54分から放送中。TVerでも無料見逃し配信。

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