新貝まゆアナ 不器用ながらも目指す「おもれー女性」とは…!?
今年、ABC朝日放送へアナウンサーとして入社したばかりの福岡県出身・新貝まゆアナウンサー。ライターでインタビュアー、ラジオパーソナリティも務める鈴木淳史が、その人生を掘り下げていく。
人生の転機になったという中学校生活を経て、私立の女子高に進学。大学は東京というキラキラした街で暮らすことに。子供の頃からニュース番組を始めとしてテレビが好きだった彼女は、遂にアナウンサーとして今年から動き出す。そんな彼女の将来像『おもれー女性』とは一体何なのか?!

――高校時代、新たに好きになったものはありましたか?
『熱闘甲子園』が本当に好きでした。人間ドラマが凄く好きで、人に密着するドキュメンタリーが中でも好きなので、よく観ていましたね。その時も、こんな世界があるんだなと思っていました。ずっとピアノをやっていたので、指を怪我したくなくてスポーツをしなかったんです。だからこそ球児の熱い想いを知って感動しましたし、よりアナウンサーに憧れて、自分もそんな人間になれたらなと思いました。
――指を怪我しない為にスポーツに接してこなかったというのは、かなり真剣にピアノをやっていたということですよね?
ピアノは今も弾いていますが、コンクールとしては中学3年の全国大会2位で終わりましたね。それも挫折とは思ってなくて、もうやり切ったと吹っ切れました。元々、練習大嫌いだったんです! 私じっと出来ないので(笑)。
――それでも全国2位ならば、海外留学の話とか無かったですか?
ヨーロッパの話とかありましたけど、ピアノ以外の広い世界を観たかったんです。

――そして、東京での大学時代ですが、東京はキラキラしていましたか?
東京はキラキラしていました! (学生生活は)最高でしたね! 今、MBSアナウンサーの海渡未来さんもいらっしゃった水上スキー部にも入りました。ずっと合宿三昧で東京の大学へ入ったのに、琵琶湖に3ヶ月くらいいました(笑)。私は怪我で3年生の時に辞めてしまいましたが、水上スキー部ではチームスポーツの楽しさを学べました。ずっとひとりでピアノをやっていたので、とても新鮮でしたね。単位も4年生後期までフルに残してありましたが(笑)、考えたら、ずっと私はそういう揉まれる人生なんです! 実際、何だかんだ言いながらも何とかなると思ってますから。
――アナウンサー試験も色々と受けられたんですよね?
東京の放送局も受けました。採用はされませんでしたが、学校の先輩に『置かれた場所で咲きなさい』と言われたんです。『熱闘甲子園』が好きだったこともあり、ABCテレビ(の採用)に向けて、必死になって就職活動をしました。一昨日、母に逢った時に『大阪で仕事を頑張るから!』と話したのですが、東京の局に向けて就職活動をしていた時を知っているので、とても驚いていました。でも、そう思わせてくれたのは『おはよう朝日です』がきっかけなんです。本当に楽しいんですよ。
――将来のアナウンサー像を教えて下さい。
もちろん『熱闘甲子園』も担当したいですし、バラエティーも好きなので「M-1」も担当したいです。ずっとニュースも観ていたので、報道番組も!の気持ちで夢はたくさんあります! 何を担当するにしても、『おもれー女性』でいたいです!

――おもれー女性???? 何ですか、それ⁉
おもれー女性です!
――おもれー女性発言然り、今日のインタビューでも、ずっと新貝さんは明るくて楽しいんですけど、単なるハッピーでパーティーな陽キャとは全く違いますよね。独特の深みがあるのは何でなのだろうと考えていました。
あー…。あの、小学校の時に友達が亡くなったり、中学の友達でも亡くなった子がいるんです。自分のことでも苦しくて暗いことがありすぎて覚えていないですけど、日常は進んでいくから自然と封印していきました。ポジティブに明るくしないとやってられないことが多くて。めまぐるしい毎日を楽しいと言えるのは、助けてくれた人のおかげですし、その繋がりは大事にしています。めちゃくちゃ不器用ですけど、みんなが笑ってくれると嬉しいので、将来『おもれー女性』になりたいんです。
――ヤンチャで元気な明るい話もあったのに、この振れ幅が新貝さんの魅力なのだなと今日わかりました。
でも、『中身開けたらこれなんや!』とよく言われますよ(笑)。将来のパートナーにも、私の好きなところを『おもれーとこ!』と言って欲しいですね!

【新貝まゆアナの主な出演番組】
テレビ「おはよう朝日です」(月・火・水・木)
(取材・文/鈴木淳史)
鈴木淳史(すずき・あつし) 1978年生まれ。雑誌ライター・インタビュアー。ABCラジオ『真夜中のカルチャーBOY』(毎週土曜深夜2時~3時)ラジオパーソナリティ担当。雑誌『Quick Japan』『Meets』など執筆担当。



