新貝まゆアナ 「中学3年間で本当に揉まれました」それが、アナウンサーになるきっかけに・・・
今年、ABC朝日放送へアナウンサーとして入社したばかりの福岡県出身・新貝まゆアナウンサー。ライターでインタビュアー、ラジオパーソナリティも務める鈴木淳史が、その人生を掘り下げていく。

3歳の時にはピアノの発表会で舞台に上がり、全国大会にも出場するほどの腕前だったという彼女。中学校の友達との出逢いが人生の転機になったという。
――小さい頃は、どんな子供でしたか?
物怖じしない子でした。ずっとピアノを習っていて、3歳で初舞台を踏みまして、ホームビデオにも残っているのですが、一番小さいのに早く舞台に出たくて仕方なく、出番になったら、すぐ走って行ってお辞儀してみたいな子でしたね。親に聴くと、本番に強かったらしく、舞台に立たせておけば何とかなるみたいな感じだったそうです。小学校に上がってからは、クラスのリーダーとか目立つタイプでも無く、ずっとピアノをしていたので友達と遊ぶ時間は無かったです。
転機は中学校ですね。3つの小学校が集まる校区の中学校で、結構ヤンチャで元気な学校だったんです(笑)。でも、たくましく育ちましたね。学校に来るペースが違う子もいれば、いろいろな家庭環境の子もいて、本当に多様な仲間が集まっていました。私にとっては初めて接するタイプの子たちばかりでしたけど、みんな優しくて仲良くなれましたね。入学してすぐ意地悪をされたこともあったのですが、その時も丸くおさめてくれたのは、そのヤンチャな友達でした。
初めて世界を知ったというか、アナウンサーになる理由にも通じるのですが、もっと人のことを知りたいと思えたきっかけの場所であり、大好きな場所です。

――素敵な場所だったとはいえ、ヤンチャなイメージがある場所に、御両親は心配されていませんでしたか?
両親は共に教師で、最初は中学受験を考えていた私に、『私立に行っても(まゆは)面白くないと思う』と言ってくれたんです。たくましく育って欲しいという想いもあったのかなと。未だに中学の友人たちとはすごく仲が良くて、帰省のたびに会うのはもちろん、普段も毎日のように連絡しています。
――好奇心が旺盛なのですかね?
自分が知らない世界を知れる嬉しさはありますね。それに中学校は縦社会で先輩が絶対だったのですが、そういうのも経験したことが無くて嬉しかったです。
――高校は中学校の時と比べると、どんな高校3年間でしたか?
高校は私立の女子高でした。中学3年間で本当に揉まれましたし、より人が好きになって、より人と関わりたいと思った時に、東京へ行きたいと思ったんです。小さい頃からピアノの全国大会でよく東京に行っていたこともあり、憧れもありました。必然的に東京の大学へ行くことを考えるとなった時に、高校は私立となりましたね。

――そもそもアナウンサーには、いつ頃からなりたいと思っていましたか?
元々しゃべるのは好きでしたが、意識し始めたのは中学校の頃からでした。父は教師で帰宅が遅く、母は家でピアノを教えていて夜までレッスンが続くことが多かったので、ずっとテレビでニュースを観ていたんです。このチャンネルではこう言っていて、あのチャンネルではこう言っていたというのを、自分の中で考えをまとめて、仕事を終えた両親に毎日話をしていました。両親も仕事の終わりが遅いことを詫びる気持ちで、ずっと話を聴いてくれましたね。例えば事件ひとつ取っても、その事件に関わる人たちにも背景があるわけで、それを言葉にしていました。よくアナウンサーのモノマネもしていましたね。
――中学の時に仲良い友達たちがいる中でも、しっかりと自分の道を考えて進路を決められたのは凄いですよね。
本当に中学の友達とは仲良かったですし、揉まれながらも、どこかで勉強をしないといけないとは思っていました。周りに流され過ぎず、自分のやりたいことは持っとかないけんとも思っていましたね。

(後編へ続く)
【新貝まゆアナの主な出演情報】テレビ「おはよう朝日です」(月・火・水・木)
(取材・文/鈴木淳史)
鈴木淳史(すずき・あつし) 1978年生まれ。雑誌ライター・インタビュアー。ABCラジオ『真夜中のカルチャーBOY』(毎週土曜深夜2時~3時)ラジオパーソナリティ担当。雑誌『Quick Japan』『Meets』など執筆担当。



