神戸・三宮にある“必ず迷うミステリーゾーン”の正体は!? 河合郁人「マジでわかんなくなった」「ヤバイ頭グルグルしている」トラウマ蘇る…

三宮(兵庫県神戸市)には、“必ず迷うミステリーゾーン”がある!? 調査にやってきたタレントの河合郁人だけでなく、なんと神戸出身の福井治人アナウンサーも迷って大慌て! このエリアだけが複雑な地形になっている理由とは……!?
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ミステリーゾーンは、JR三ノ宮駅北側の北野坂を少し上がったところにある。現地をしばらく歩いてみた河合と福井アナは、いつのまにか北野坂の反対側・東門街にたどり着いた。

河合と福井アナは、北野坂へ戻ろうとするも、「どっちの方角なのかが全然わからない!」「あれマジでわかんなくなった!」「ヤバイヤバイヤバイ頭グルグルしている!」「ミステリーゾーン過ぎるでしょ!」と大慌て。迷いに迷って、再び東門街に来てしまった。

方向感覚が狂ってしまうのは、このエリアだけ不規則に交差する道がいくつもあるから。周囲の高い建物によって視界がさえぎられ、自分の位置関係を把握しづらいことも、必ず迷う原因だ。

一体なぜ、こんな複雑な道ができてしまったのか? その原因を探るべく、福井アナの提案で河合は、東門街を挟んだすぐ隣にある生田神社へ。実は生田神社は、かまぼこ発祥の地。そこで河合は、「複雑なエリアとかまぼこは何か関係があるのでは?」と考えた。

しかし、その考えは大ハズレ! 兵庫の歴史に詳しい追手門学院大学の道谷卓先生によると、「あの場所にはある人達が関西で初めてのモノを造ろうとした」「それがあったから道がゴチャゴチャになった」そうだ。

道谷先生が、「前も行ったと思うんですが、元町に行ったらわかります」とアドバイスすると、河合は「ちょっと待って! 元町のどこですか? トラウマなんですよ……!」と、福井アナとともに不安な顔に。2人とも、痛恨のミスで0点をとった謎解きの記憶が蘇ったのだ。そんな彼らに道谷先生は、「1868年(明治元年)」「人がたくさん集まる場所に答えがあります」と、特別な大ヒントを与えてくれた。

「元町で人が集まる場所といえば中華街!」ということで、河合と福井アナは南京町へ。やがて2人は、南京町の沿革の「南京町の誕生は明治元年(1868)の神戸港開港直後といわれ、清国(当時の中国)が条約を結んでいなかったため、中国人たちは政府が定めた外国人居留地の西側、元町の南あたりに集まって住むようになりました」という一文に目を留めた。

そこで河合は、必ず迷うミステリーゾーン=「関西で初めての外国人居留地が造られた場所」と推測し、証拠を求めて福井アナと旧居留地へ向かうことに。その道中で2人は三宮神社にたどり着き、1868年に神社前で起きた神戸事件について知った。神戸事件とは、備前藩兵が隊列を横切った外国人水兵を斬りつけて、国際問題に発展した事件だ。

ここで河合がひらめいた! 河合は、関西で初めてのモノ=外国人居留地と仮定して、「これ(=神戸事件)が起きてしまったから造れなかった」と推察。「(三宮の計画は頓挫したが)その後、この大丸のあたりとかではいろんな居留地ができた」という歴史の流れまで考え、彼に福井アナも「それじゃないですか!」と同意した。

「完璧な答え」と自信満々な河合と福井アナだったが、2人の推理の結果は100点満点中……まさかの0点! 彼らが本来見つけなければならなかったのは、元町駅そばにある競馬の場外馬券売り場だ。

そこには、「初めて競馬が開催されたのは1868年のクリスマスとされています」という記載が! つまり関西初のモノとは、競馬場。1868年に神戸港が開港し、居留地に住みついた西洋人が、生田神社の東側に競馬場を設営したらしい。


東門街のカーブになっている道は、実はかつての競馬場の第2コーナーだ。競馬場のコースに沿って建物が建てられたため、東西南北に対して斜めの道がいくつもでき、方向感覚が狂う現在の街になったのだった。

なお、必ず迷うミステリーゾーンの謎は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「福井×河合のなんでやねん!?」12月2日放送回で紹介された。



