最大の難所を前にアナウンサー2人が寄り道して「いい湯だな」 聖徳太子ゆかりの地に“光り輝く”不思議伝説!? 日本最古の国道「竹内街道」

ABCテレビの柴田博アナウンサーと中村想人アナウンサーが、古くから街と街をつないできた「街道」を歩きながら深い歴史や人の営みに触れ、街の魅力を再発見する「柴田・中村の街道しゃべ歩き」。今回は「竹内街道」の第5章をお届けします。

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大阪・堺市と奈良・葛城市を結ぶ約26kmの「竹内街道」は、613年、推古天皇が大阪から当時の都・飛鳥を結ぶ道として整備した日本最古の国道。今回は、大阪・太子町から奈良へとつながる竹内峠へ、およそ5kmの道のりを歩きます。

朝6時半、太子町にある近鉄・上ノ太子駅から“しゃべ歩き”をスタートした2人がさっそく目にしたのは、駅前にある立派な聖徳太子像。「太子」の名をいただく太子町は、日本の礎を築いた聖徳太子ゆかりの地なのです。

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2人が向かうのは、竹内街道最大の難所といわれる竹内峠。峠越えに気合い十分!と思いきや、まもなく見つけた昔ながらの喫茶店でいきなり休憩し、おいしいモーニングを楽しむ2人。今回も寄り道だらけの珍道中になりそう!?

朝のエネルギーをチャージした後、再び歩き始めると、まもなく分かれ道に差しかかりました。左には「聖徳太子御廟」が、右には「孝徳天皇陵」と「竹内街道歴史資料館」があるよう。「どっちも行きたい」と悩む柴田アナですが、かつてはお札にも描かれた偉人に敬意を表し、太子の墓である聖徳太子御廟を目指します。

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【動画】マンホールの蓋に、聖徳太子が定めた十七条憲法の第一条「和を以て貴しと為す」が刻まれているなど、太子町のあちこちに太子の足跡が!

狭い路地のようになった街道を進み、たどり着いたのは、御廟の真正面に建つ「叡福寺」というお寺。聖徳太子の墓を守るため、622年に推古天皇が建立したと伝えられています。とはいえ、大和の国で活躍した聖徳太子の墓がなぜここにあるのか? 今回も、大阪の歴史にくわしい作家で古地図コレクターの本渡章先生に電話で疑問をぶつけてみます。

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本渡先生によれば、ここを墓に決めたのはなんと「聖徳太子ご自身」。伝説では、聖徳太子が愛馬に乗って空を飛び、富士山から眺めたときに、現在叡福寺がある場所が「光り輝いていた」らしく、亡くなる数年前にはもう墓を作っていたそうです。

この近くには、太子の父である用明天皇や、叔母にあたる推古天皇の墓も。竹内街道沿いには王族の墓が多く残っています。太子がここを墓に定めた理由のひとつに、物を運んだり、人が移動したりするのには欠かせない「道」の存在もあったのでは?と先生は話します。

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さて、竹内峠を目指して再び歩き出す2人。ところが、昔懐かしい駄菓子屋さんを見つけてまたしても寄り道。100円くじに夢中になる柴田アナが引き当てた賞品はかわいらしい携帯用ライト。「私の人生の先を照らしてくれます!」と大はしゃぎです。

店を出て先に進むと、竹内峠のある二上山まで“2km”という標識が。ようやく本日の目的地を思い出し、気合いを入れ直して歩き出しますが、いよいよ竹内峠が迫ってきたところで、「聖徳太子めぐみの湯 太子温泉」という看板を発見。しかも「すぐそこ」と書かれており、温泉はまさにすぐ近くにあるよう。

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誘惑に勝てず、「すぐ行こう。すごそこやから」とまたまた寄り道する2人。まずは併設のお店で、名物の卵かけご飯をいただきます。柴田アナはゆずの香りがする「ゆずたま」、中村アナは黄身が真っ白な「米っ娘」の卵かけご飯を堪能。

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お腹も満たされたところで、いよいよ温泉へ。ゆっくりとお湯に浸かりつつ、「人生、山あり谷ありですが、越える壁がもう見えてるときほど、楽なことはございません」と峠越えに意気込む柴田アナですが…。今回も寄り道が過ぎ、目的の峠にたどり着くことすらできなかった2人の旅は次回も続きます。

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「柴田・中村の街道しゃべ歩き」は、10月16日(木)放送の『newsおかえり』(ABCテレビ 毎週月曜〜金曜午後3:40〜)で紹介しました。

『newsおかえり』YouTubeチャンネルで配信中

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