まさか!?写っているのは、あのベテランアナウンサー? “激レア写真”をなぜか大阪・玉造にある“最古のビリヤード店”で発見!

JR玉造駅(大阪府大阪市天王寺区)の商店街には、お店の方いわく“大阪イチ古い”と言われるビリヤード店がある。日本の歴史が深く関わっているそのビリヤード店には、ABCテレビのベテラン男性アナウンサーが初々しかった時代の貴重写真があった!

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“大阪イチ古い”と言われるビリヤード店とは、玉造駅近くの玉造日之出通南商店街にある、日之出倶楽部のこと。3代目店主いわく、「戦後すぐにここの場所に来た」「移転して80年ぐらいだと思う」とのことで、移転前と合わせると日之出倶楽部には、創業100年以上の歴史がある。

日之出倶楽部には、昔のポスターや写真がいっぱい。その中にはなんと、古川昌希アナウンサーの若かりし頃の写真が!

古川アナの後輩・福井治人アナは、「古川さん若っ! 入社多分3年目以内とかじゃないかな。このおぼこい顔は」と推測。A.B.C-Zの塚田僚一が、「古川さんだったら(日之出倶楽部が玉造に移転した理由を)知っていたかもね」と呟くと、福井アナは「この顔が知ってると思います? 知らないですよ」と笑いながら即否定した。

やがて福井アナと塚田は、戦国武将・真田幸村(信繁)に関するものを商店街で発見。そこで2人は、塚田と古川アナが以前調査した、真田にゆかりがある三光神社を訪れた。

神社の石碑には、「鳥居も過ぐる第二次世界大戦の戦火を被り」という記載が! 福井アナはこの情報と、玉造駅から近い大阪城公園内に陸軍の射撃場跡があることを踏まえて、「戦争とビリヤード店は関係ある」と考えた。

福井アナの予想は見事的中! 歴史探訪プランナー・森なおみさんいわく、戦前から戦後にかけての玉造は、梅田や難波に並ぶ大阪屈指の繁華街だったらしい。当時は人々に「東の心斎橋」と呼ばれ、映画館が4つもあったのだとか! 玉造日之出通南商店街も「人で歩けないほど大賑わいだった」ため、日之出倶楽部は移転してきたという。

なぜかつての玉造は、心斎橋に肩を並べるほどの繁華街だったのか? この謎のヒントとして森さんは、「玉造のお隣、森ノ宮駅周辺が重要なんですよ。(玉造に)人が多く集まることになった痕跡を探してください」と福井アナたちに指示。さらには、「メジャーリーグとか日本シリーズとかすごく盛り上がりましたが、2人は浮かれずにしっかり足元を見て調査してくださいよ」と意味深長な発言をした。

森さんの言葉でピンときた福井アナは、塚田を連れて森ノ宮駅そばの商業施設・もりのみやキューズモールBASEへ。キューズモールといえば、かつて存在したプロ野球球団・大阪近鉄バファローズが主に使用していた、日本生命球場があった場所だ。

そのため福井アナは、「今まで(戦争によって)娯楽が全て失われていたけど、野球場を通して戦後復興の礎の街として、昼間は野球場で熱狂して、夜はあのビリヤード店をはじめ、繁華街のあの商店街で(大阪の人々は)楽しんだ」と推測。そして、「玉造が大繁華街になったのは、森ノ宮の野球場のおかげ!」と、塚田とともに最終予想を立てた。

野球実況も担当する福井アナは、「この推理、間違っているわけがない!」と超自信満々だったが、推理の結果は100点満点中……まさかの0点! 森さんが野球場を示唆していた点は合っていたが、彼女が福井アナたちに見つけてほしかったのは、キューズモール向かいの大阪城公園内にある野球場だった。

その野球場の近くには、塚田が過去に古川アナと調査した大阪砲兵工廠跡の石碑が! 玉造がかつて大繁華街だった理由は、「東洋一の軍需工場」こと大阪砲兵工廠の従業員で賑わう場所だったからだ。最盛期の従業員数は、なんと約6万人! 玉造日之出通南商店街は、従業員たちの通勤ルートにあり、さらには玉造周辺に住む人々が増えたことから、映画やビリヤードといった娯楽のある大繁華街になったのだった。

なお、玉造にまつわる一連の謎は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「福井×塚田のなんでやねん!?」11月4日放送回で紹介された。

番組情報

河合&A.B.C-Z塚田×福井アナ「なんでやねん!?」(news おかえり)
毎週(火)

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