「ポツンと一軒家」息子が心臓病になり3歳で大手術! 夫婦は教員を辞め、妻は息子の看護に専念、夫は学習塾の経営に転身し…
衛星写真でみつけた謎の一軒家の実態を徹底調査する番組『ポツンと一軒家』(ABCテレビ)。11月2日(日)の放送回では、山口県のダム湖のほとりにポツンと佇む一軒家へ。「アイドルは田舎暮らしに興味ないでしょう?」とMCの所ジョージにきかれたゲストのJO1・豆原一成は、「田舎育ちで、おばあちゃんは山を持っています」と仰天回答をした。

広大な敷地に赤い屋根を持つその建物は、衛星写真越しにも堂々たる風格を漂わせていた。いつものように集落で聞き込みをすると、農作業中の男性が「老夫婦が暮らしている。孫が弟の同級生」ということで、現地まで案内をしてくれた。ダムの上にかかる橋を超えて目的地に到着。そこには手入れの行き届いた広大な和風庭園を持つ、輝く赤い石州瓦が印象的な大きな日本家屋が出現。しかもポツンと一軒家ではあるが、何台も車が止まっており大勢の人の気配があった。

玄関先で捜索隊を出迎えてくれたのは、この家の十三代目当主の妻。この場所で心理カウンセリングの講座を開いているのだという。義父が7年前に他界し、現在は義母が一人暮で暮らすこの場所に、十三代目夫婦が毎日通って世話をしているという。

十三代目当主によると、先祖は遠く阿波国(現在の徳島県)からこの地を治めるためにやってきた領主だったそう。曾祖父が建てたという築135年の家屋には松の木が惜しみなく使われ、屋根にはこの地方特有の赤い「石州瓦」が葺かれている。これは美しさだけでなく、表面が滑らかで雪を自然に滑り落とすという、豪雪地帯ならではの優れた機能性を備えている。広大な庭はその昔、京都から庭師を呼び寄せて作らせたものだ。かつては周辺に分家があったが、昭和の終わりから平成7年にかけてダムが建設され、2軒の家がダムの底に。この家がポツンと取り残されたが、ダム建設で周辺の道が整備され、以前よりも暮らしやすい環境になったという側面もあった。

亡くなった十二代目当主は戦後茨城県で就職し、定年がきっかけでこの地に戻ってきたのだそう。母は中学の校長として働き、十三代目と妻も教職に就き、職場で出会ったという。家族の運命を変えたのは、十三代目の三男の心臓病。3歳で大手術を受けた。それを機に十三代目夫婦は共に教職を辞し、妻は息子の看護に専念、十三代目は家族のそばにいられるようにと学習塾の経営に転身した。それができたのも、十二代目夫婦の支えがあったからだと語る。

十三代目の妻は息子の病気を乗り越える過程で多くの支えを受けた過去から、「闘病中の子供たちの家族、特に母親を支える機関がない」ことに気づき、38歳で心理カウンセラーの資格を取得。今では多くの人々の悩みに寄り添い、家族の生活の場であったこの家を、心を癒すための「講座の場」に変えた。
さらに「この素晴らしい家と景色を、母と二人だけで観るのはもったいない」と、セミナーを行い知人のミュージシャンを招いて音楽イベントを開催するなどして公開。将来的には宿泊施設としての活用も視野に入れているという。この歴史ある家を、より多くの人々に開かれた場所にしたいという家族の願いは、未来への明るい展望となって輝いていた。

捜索隊は、離れて暮らす2人の息子たちが帰省する週末に再訪。3歳で心臓の大手術を乗り越えた三男は、現在大学に通いながらドレッシングの製造・販売の会社を起業。自身の闘病中に、「ドレッシングをかけて病院食を美味しくしていた。ドレッシングが、自分の人生を表す味だなと思って」とその原点を語る。

十三代目夫婦は、「森の主に会わせたい」と捜索隊を裏山に誘った。そこで待っていたのは、樹齢600年から700年と推定される椎の木。亡き父が老後、山の手入れをしていたのだそう。

十三代続く歴史ある実家に通い母を支える息子夫婦。大病を克服した三男も仲のいい兄たちと一緒に、幼い頃から優しく面倒を見てくれたおばあちゃんに会いに来る。ダム湖のほとりにポツンと一軒残った家には、生き生きとした笑顔の花が咲く温かな家族の暮らしがあった。

ゲストに川田裕美と豆原一成(JO1)を迎えたバラエティ番組『ポツンと一軒家』(ABCテレビ)は、11月2日(日)の放送で紹介された。

ABCテレビ・テレビ朝日系列『ポツンと一軒家』は、毎週日曜ごご7時58分から放送中。TVerでも無料見逃し配信。



