70年万博時代、大阪にあった漫才学校! 市場仲買人&セールスマンから2025年の京大エリートコンビへ…受け継がれる笑いの意思
初の大阪万博開催を控えた1960年代に、日本初とされる漫才学校が大阪に誕生したことを、どれだけの人が知っているだろうか。当時異色の存在だった漫才学校は、EXPO 2025 大阪・関西万博が開催された2025年において、明日のお笑いスターを育てる拠点となっている。異なる時代で笑いを突き詰める、漫才師たちの姿をテレビカメラが追った。
【TVer】松竹芸能養成所の期待のエリート新人は“ダブル京大漫才コンビ” プロ登竜門ライブ予選1位の彼らは、決勝戦大トリで……!?
プロの芸人になるために、お笑いの学校に通うことは令和の今でこそ主流だが、1960年代は師匠に弟子入りして修行するのが一般的だった。そのため、漫才師や喜劇俳優を養成する学校「明蝶芸術学院」は、当時世間では「異色の学校」扱い。同校では、漫才の実習のほか、発声練習、バレエの基礎練習、街中でのネタ探しなどが、授業として行われた。
明蝶芸術学院の生徒の1人は、本職が大阪市中央卸売市場の仲買人。漫才中の威勢のいい口調は納得だ。彼は、「明日にもプロの漫才師に!」と猪突猛進かと思いきや、「時間をかけてでもやりたい」「プロとしてやるならある程度見通しがついてから」と、実はなかなかの慎重派だった。
市場仲買人の相方は、本職が乳幼児向け菓子のセールスマン。団地のスーパーマーケットを訪れ、漫才口調で菓子を売り込んでいる。彼にとって漫才は生きがい。「本当に自分が打ち込めるっていう気がしてね、毎日毎日が非常に楽しい」そうで、「これ(漫才)で飯を食っていきたい」と考えている。
時は流れ、明蝶芸術学院の設立から半世紀以上が経った2025年。漫才頂上決戦『M-1グランプリ』をはじめとする賞レースの登場で、令和は「面白くて勝てるネタ」が芸人に求められている。こうした現代のお笑い戦国時代に飛び込んだのが、24歳の凛と21歳の赤井俊介によるコンビ「スローダン」。2024年秋に、松竹芸能養成所からセンスを買われて特待生として入った、結成2年目の期待の新人だ。
実はスローダンは、“ダブル京大漫才コンビ”だ。ツッコミ担当の赤井は京都大学の3年生で、ボケ担当の凛は2024年に同校を卒業し、翌年に広告代理店へ就職。超エリートな経歴の2人は、それぞれ学業または本職の傍ら養成所に通っている。
スローダンは養成所の授業だけでなく、SNSやYouTubeにも力を入れている。「SNSをやっていなかったら逆に怠惰というか。今オーディションは、SNSが戦闘力になっている」とのことで、超多忙にもかかわらず、企画、編集、撮影はすべてセルフ。赤井の友人を含む3人で暮らす自宅兼稽古場で、日々膨大な量のネタを考え、自分たちの漫才を撮影し、世の中に発信し続けている。
スローダンは、大好きなM-1を目標に日々励んでいるが、同大会では1回戦止まり。この結果に凛は、「今、会社員とどっちもやっているけどさ、これでいいんかとやっぱ思っちゃう」そうで、漫才に専念している芸人をうらやましがっている。そんな彼に相方の赤井も同意しつつ、「(でもそれは)リスクもすごくある」と指摘。2人とも、2足の草鞋を履いているからこその葛藤を抱えながら、がむしゃらに漫才に取り組んでいるのだ。
半世紀以上が経っても、未来のスターを夢見て漫才学校に通う若者たちに悩みは尽きない。しかし、悩み抜いた末に彼らが披露する究極の漫才は、きっと多くの人々を笑顔にするだろう。なお、漫才学校の今昔に密着したこのドキュメンタリー映像は、10月6日に放送された番組『1970→2025 万博が“つなぐ”関西の半世紀』(ABCテレビ)の第6回「漫才学校繁盛記」で紹介された。














