ピアノを弾き、バイクに乗る元気な101歳・高田薫さんがたどり着いた人生の極意 「くよくよしないで明るく生きる」

奈良・三郷町に住むとても元気な女性は御年101歳! 毎日をいきいきと暮らす彼女の日常に迫りました。

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高田薫さんは大正13年(1924年)2月17日生まれの101歳。駅から約2kmの急な坂を上ったところに、40年ほど前から暮らす自宅があります。

朝は午前10時ごろに起床。もう10年以上は続いているというバナナと牛乳の朝食を済ませます、その後、5歳の愛犬・チョキちゃんにおやつをあげながら、ソファでのんびりと過ごすのかと思いきや…。

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ベランダで洗濯物を干す薫さん。洗濯は人任せにせず、「自分のもんは自分で」がモットー。家族の洗濯物があれば、一緒に洗うこともあるそうです。昼食は、一緒に暮らす長男・恵太郎さん(75)が作ったペペロンチーノ。何でもおいしくいただきます。

そんな薫さんには月に2回、出かけていく場所があります。なんと50歳を超えてから始めたというバイクに乗り、さっそうと向かったのはピアノ教室。高橋美輪先生のピアノレッスンを25年ほど前から受けています。

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レッスンが終わると、先生の手作りスイーツをいただきながらおしゃべりを楽しむ「女子会」。ピアノと女子会、どちらがメイン?と聞かれ、「ピアノ!」とおどけた顔で答える薫さんに「絶対うその顔や!かわいい!」と先生は大笑い。

底抜けに明るく、とても元気な薫さんですが、まったく体に不安がなかったわけではありません。10年以上前に手術した右手は今も3本の指にしびれが残っています。70代後半には乳がんが発覚し、手術もしました。

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辛い病気も経験しましたが、「本人は忘れてるわ(笑)」と笑い飛ばす薫さん。「明るくね。くよくよ考えたってなるようにしかならない」「感謝の気持ちを忘れずにね」。これが101年生きてきてたどり着いた、人生の心構えだといいます。

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【動画】長男の恵太郎さんによれば薫さんは「ホンマにのんき」。細かいことにこだわらない、大らかなお母さんだといいます。

大正13年、東京に生まれた薫さんは9人兄弟の末っ子でした。女学校を卒業後、保育士になるための養成所に進学。そのとき働いていたのが、東京の私立学校・トモエ学園。同校出身のタレント・黒柳徹子さんが元気に「走り回る」姿を今も覚えているといいます。

楽しく、充実していた学園での日々。しかし、昭和16年(1941年)、薫さんが17歳のときに太平洋戦争が始まり、戦争末期には東京も空襲で大きな被害を受けます。焼夷弾で焼け野原になり、亡くなった人たちが、まるで人形のように「コロコロ転がっている」――戦時下で見た光景を振り返り、「二度とあれはやだね」としみじみつぶやく薫さん。

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昭和20年(1945年)、21歳のときに終戦を迎え、25歳で2歳年下の恵さんと結婚しました。2男1女の3人の子どもに恵まれ、50代のころには恵さんの転勤でアメリカへ。91歳でファッションショーに出演するなど、たくさんのことを経験してきました。

しかし、長く生きるということは、別れもたくさん経験するということ。夫・恵さんは14年前に、8人いたきょうだいの中で最後まで元気だった7歳年上の姉・小枝子さんは12年前にこの世を去りました。うれしいことがあった後ほど、それを分かち合えない寂しさが募るといいます。

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「(死ぬことは)怖くはない」「ただ、苦しまないで逝きたいね」と薫さん。今日も人生をいきいきと楽しみながら暮らす彼女にとって、101歳はまで人生の通過点のようです。

奈良に住む101歳の元気な女性・高田薫さんは、9月2日(火)放送の『newsおかえり』(ABCテレビ 毎週月曜〜金曜午後3:40〜)で紹介しました。

『newsおかえり』YouTubeチャンネルで配信中

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