京都・大宮通に“謎の巨大スペース”があるのなんでやねん!? 河合郁人が京都の中心でひらめいて叫んだ言葉とは?

「おっぱい! おっぱい!」と、タレントの河合郁人が日中の京都の街中で連呼! 河合の過去の“おっぱい調査”が、大宮通にある巨大スペースの謎に関係しているかもしれない!? 彼が、戸惑うABCテレビの福井治人アナウンサーと推理した結果は……!?
【TVer】まさかの重大ミス連発にスタジオ騒然! 河合郁人&福井治人アナ「ちょっと怖かった自分が」「これがNDYか……」


大宮通は、二条城をまたいで京都市街を南北に通る道。謎の巨大スペースは、今出川通から南へ下ったところにあり、直前まで1車線ほどしかなかった道幅が、4車線ほどの広さになっている。福井アナの体を張った調査で、この巨大スペースの広さは、横が約15メートル、縦が約70メートルだとわかった。

周辺を調査した河合と福井アナは、この街で行われる西陣伝統文化祭「千両ヶ辻」のチラシを発見。祭りの開催エリアに、あの巨大スペースが含まれていることを知った。そこで2人は、謎の巨大スペース=「昔からお祭りで使われてきた神聖な場所」と予想。しかし、京都のミニツアー・まいまい京都代表の以倉敬之さんに、「まったく見当違い」と言われてしまった。

以倉さんいわく謎の巨大スペースは、「京都ならではの歴史が関係している」ために広くなっており、「昔はとっても重要な場所」だったそうだ。彼は河合と福井アナにヒントとして、謎の巨大スペース近くの中立売通を調べるように指示した。

中立売通にやってきた河合と福井アナは、西方面を調査する中で、戦国時代に豊臣秀吉が建てた城郭風の邸宅・聚楽第(じゅらくだい)の説明板と石碑を発見。説明板から、自分たちが今いる場所に聚楽第の西側の濠、そこから東へ250メートル先のハローワークが建つ大宮通に東側の濠がかつてあったことを知った。


河合と福井アナは、ハローワークの前にある石碑を探したが、見つけられないまま堀川通へたどり着き、なんだか歴史がありそうな堀川第一橋を発見。すると突然河合が、「ここ来たわ!」「これやったわ!」「これなんだっけ!?」と叫び、親柱の下部に刻まれた「不」のような文字を指した。

河合は、そのすぐ近くにある説明板を過去の調査で読んだことがあるが、こちらもなかなか思い出せず大慌て。「測るやつ。土地とか。その、なんだっけ……」としばらく頭を抱えたが、突然「おっぱい! おっぱいの! おっぱいのと一緒のやつだ!」と発言!
おっぱいとは、今年3月に河合と古川昌希アナウンサーが調査した「一等水準点」のこと。土地の高低差を測量するために、全国各地に設置されているものだ。河合はその見た目から「おっぱい!」と叫んだ。
彼との調査が初めてで何も知らない福井アナは、「おっぱい!? 河合さん何!? こんな京都の街中でおっぱいって!」と困惑するしかなかった。


「不」のような文字は、明治9年に全国各地の測量のために導入された水準点。“おっぱい”は、現在の一等水準点のことだ。やがて河合は、日本初の電気鉄道(京都電気鉄道)が堀川第一橋の上を走っていたことを思い出した。


そこで河合は、謎の巨大スペース=「京都市内を走っていた市電の車庫があった場所」と推測。「北側の通りは一車線なのに、スペース出てきて、南側行ったとき、ちょっと広かったもんね。で、中立売通に出るわけでしょ」「みんな使っていたわけだし、使うわけだし、京都ならではだし」「以倉さんが電話で言っていたことが全部当てはまる」「これ結構自信がある」と語る彼に、福井アナは「僕、絶対100点だと思います!」と同意した。

しかし推理の結果は、100点満点中0点! 謎を解くためには、「中立売通のヒント」こと聚楽第の東側の濠の石碑が重要だった。実は河合と福井アナは、2度も石碑の前を通っていながら見逃していた!


聚楽第の東の濠があった大宮通の東隣には、区間の短い旧大宮通がある。豊臣秀吉が聚楽第を建てた当時、大宮通の一部は外堀だった。その一部通れない区間のために東側につくられたのが、現在の旧大宮通だ。聚楽第がなくなると外堀は埋められ、元々あった大宮通が復活。途中の外堀を避けていた一部の道がつながって大宮通になったため、あの不自然な巨大スペースが出来たというわけだ。

なお、大宮通の巨大スペースの謎は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「福井×河合のなんでやねん!?」9月16日放送回で紹介された。

