「ホンマのことはみんな知らん」間寛平が吉本新喜劇と決別した過去を衝撃告白!妻の勧めで東京へ行った彼が頼ったお笑いレジェンドとは?
「ホンマのことはこの子らも知らんと思うんですよ」。間寛平がかつて吉本新喜劇と決別した過去を回顧した。その時、妻の勧めで東京に行ったという寛平。あてがない彼が頼った超大物芸人とは!? 衝撃の秘話にかまいたちも驚きを隠せない……!
【TVer】吉本新喜劇と決別した波乱万丈人生!後輩座員たちも知らなかった衝撃の過去を間寛平が初告白!
間寛平と言えば、今年66周年を迎える吉本新喜劇を支えてきた神座員としてお馴染み。1974年、入団4年目、24歳にして座長に昇格すると一躍人気者に。2022年からは吉本新喜劇ゼネラルマネージャーに就任し、劇団を引っ張っている。そんな寛平にはかつて新喜劇を離れ、吉本興業すら辞めようとした過去があったという。
「これ言うたらどうなるんかなと思うけど、ホンマのことはこの子ら(座員たち)も知らんと思うんですよ」と前置きし、新喜劇を離れた理由について語り始めた寛平。それはNGK(なんばグランド花月)が出来た頃のこと。「新喜劇は出すな!」と言われた寛平は、会社に駆けつけ、「上の人を呼んで『1か月前に入ったちゃらんぽらんの名前があんのに、なんで僕らの(名前)がないねん!』」と抗議。「そこでもうむちゃむちゃ喧嘩になり、『もう辞めたらぁ!』」と啖呵を切った。家に帰り、嫁に「もう限界や」と話すと、「あんた東京行き!」と言われ、「よっしゃ東京行くわ」と決意。しかし、あてがないため、B&Bの島田洋七に電話し、ビートたけしを紹介してもらったという。
そして「『たけしさん、たけし軍団入れてください。僕もう行くとこないんです」と頭を上げたと寛平。すると、たけしは「まあ飲みなよ」と言って酒を勧め、「ずっと飲ましてもろた」寛平はベロベロに。たけしが呼んでくれた運転手にホテルまで送ってもらうことになった。すると車内で運転手から「寛平さん、たけし軍団には入らんといてくださいよ。僕ずっと関西で寛平さん観てたんですよ」と懇願され、寛平は「いや俺も行くとこないねん」と言いながら、送ってもらったと回想した。
さらに嫁から「明日欽ちゃんとこ行くよ!」と言われ、出番を終えた萩本欽一に会いに行ったと話すと、濱家は「アグレッシブな奧さんですね」と感心。萩本からは「寛平ちゃん3年辛抱できるか?吉本興業にいじめられるやろ」と言われ、寛平が「3年辛抱します」と応えると、萩本は「3年経ったら僕が吉本興業に土下座して、寛平を許してやってくれって頭下げに行くから」と約束してくれ、寛平は「わかりました」と返答したという。
そんな寛平を止めたのは、当時、吉本興業の東京事務所所長だった木村政雄。木村から11日間に渡り、何度も「辞めんといてくれ」と説得された寛平は、「たけしさんと欽ちゃんには謝りに行って、東京事務所に入るようになった」と述懐。その時、一人孤独だった寛平の味方になってくれたのが明石家さんまだったと話すと、かまいたちは「困った時に頼った方々が凄すぎて。たけしさんに欽ちゃんさん」(山内)、「で最後、さんま師匠」(濱家)と驚きを隠せなかった。
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なお、この間寛平の余談は9月3日に放送されたバラエティ番組『これ余談なんですけど・・・』で明かされた。
