「私たちはもう帰れない」極限状態のなか、死にゆく仲間を見送り続けて——100歳の元特攻隊員が語る平和への思い
WEB企画「桜の樹がピンチ!?クビアカツヤカミキリとは?」(2025年7月18日配信)では、特定外来生物「クビアカツヤカミキリ」の被害を食い止めるべく、大阪府が行っているこの夏のユニークな取り組みを取材した。
木を枯らす厄介者・クビアカツヤカミキリ、通称“クビアカ”の被害が広がっている。今年7月24日の時点で全国16都府県で、近畿地方では全府県で確認されているクビアカ。首のように見える部分が赤いのが特徴で、特定外来生物に指定された本来は日本にいないはずの虫だ。
クビアカが好むのは桜や桃などの広葉樹。幼虫が木に入り込み、中から食い荒らしてしまう。桜が多く集まる公園などの環境では、1本の木から被害が連鎖 的に広がり、すべての木が枯れてしまうケースもあるという。
そんな桜の被害を食い止めたい大阪府が企画し、この夏、大阪府内の各所で開催されているのが「クビアカツヤカミキリ『夏の陣』」。クビアカを捕獲するイベントで、多く捕まえた上位者にはAmazonギフト券などの景品が贈られる。
7月上旬、取材班は大阪・柏原市の玉手山公園で行われた「夏の陣」に密着。クビアカの捕獲に意気込む20人もの老若男女が集まるなか、大阪市内から家族で参加したのは清水さん一家。小学3年生の薫くんは、ハマっていた“昆虫が戦うゲーム”でクビアカに興味を持ち、調べるうちに害虫と知ったという。
家族で力を合わせて探すこと10分、発見したクビアカを薫くんが見事捕獲。殺処分することが法律で定められているため、すぐにエタノールの入ったボトルに閉じ込めた。ほかの参加者も次々と捕まえ、この日のイベントでは11匹が処分された。
もともと自然分布していた中国や韓国から、荷物の梱包材などに紛れ込んで日本に入ったと見られているクビアカ。生態には謎が多く、駆除する薬剤などもまだ研究中。被害を拡大させないために、見つけたらすぐに足や石で潰すなど、「殺虫してもらうことが重要」と専門家は協力を呼びかけている。
「100歳の元特攻隊員“平和への思い”」(『newsおかえり』2023年8月15日放送)では、戦時下、特攻隊員となるも生き残り、100歳を迎えた茶人を取材した。
茶道・裏千家15代家元・千玄室さんは御年100歳(※取材当時)。太平洋戦争時、同志社大学の学生だった玄室さんは、学徒出陣により召集され、海軍に入隊。1年半後に志願して特攻隊に入った。
玄室さんが訓練を受けた徳島飛行場には、後に俳優となる西村晃さんも。苦しい飛行作業の合間には、西村さんが音頭を取り、お茶の道具を持って入隊していた玄室さんが仲間にお茶を振る舞うこともあったという。
そのとき、仲間が口にしたことが「耳の底に残っている」と玄室さん。おいしそうにお茶を飲んだ後、「生きて帰ったらな、お前のとこのほんまの茶室で茶飲ましてくれや」と言った仲間。この「生きて帰ったら」という言葉に「私たちはもう帰れないんだ」という残酷な事実を突きつけられ、玄室さんは「ゾクッとした」という。
その望みは叶わず、彼は特攻で帰らぬ人となった。次々と飛び立つ仲間たちを見送りながら、極限の精神状態で出撃を待った玄室さん。そのまま終戦を迎えて生き残ったが、命を落とした62人もの仲間の顔は今も目に浮かぶという。
終戦後、アメリカの占領下に置かれた日本。大勢のアメリカの将兵が日本の文化を知ろうと京都の裏千家を訪ねてきた。先代の父が点てるお茶を、将校たちが正座をして飲み、敬意を示す光景に感銘を受けた玄室さんは「“武”で負けたんだから、“文”でいかないかん」と、日本が誇る文化、茶道の力で平和を目指すことを決意した。
1951年1月にはアメリカに渡り、各地でお茶の文化を紹介した玄室さん。その後も旧ソ連のゴルバチョフ大統領、ドイツのメルケル首相、イギリスのエリザベス女王など世界の要人とお茶を通じて交流を続け、訪れた国は70を超えた。
戦後80年。「戦いというのはしちゃならない。ならないことを犯しているのが人間なんです。それをなんとか止めていくのが、文のチカラ。一碗のお茶なんです」と玄室さんは平和を訴え続ける。
千玄室さんは、2025年8月14日に102歳で逝去されました。慎んでご冥福をお祈りいたします。
ABCテレビの夕方のニュース『newsおかえり』で過去に放送された特集企画と、YouTube公式チャンネル『ABCテレビニュース』の特集動画から選りすぐりの作品をお届けする番組『newsおかえり&YouTube傑作選』。8月11日(月)は「桜の樹がピンチ!?クビアカツヤカミキリとは?」と「100歳の元特攻隊員“平和への思い”」の2本を放送した。
