死亡率81%、かつて大阪が全国トップクラスの被害に…鶴橋の謎の石碑に隠された“英雄たちの歴史”とは


大阪のJR鶴橋駅から徒歩10分程の路地裏には、謎の石碑がひっそりとある。実はこの石碑は、かつて命の危険を顧みず多くの人を救おうとした、大阪の英雄たちのためのもの。当時日本を襲い、大阪がトップクラスの被害を受けた悲劇とは? 石碑に隠された壮絶な歴史に、A.B.C-Zの塚田僚一とABCテレビの古川昌希アナウンサーが迫った!
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謎の石碑に刻まれた文字は、中華圏で使われているような難解な漢字で、石碑の裏には説明がギッシリと書かれているが、潰れているなどしてほぼ読めない。古川アナがかろうじて判別できたのは、「桃山病院」という文字だけだ。

桃山病院を手掛かりに、古川アナは塚田と周辺を調査することに。すると、近くに聖バルナバ病院や、大阪赤十字病院、早石病院を発見。そこで2人は、「桃山病院は、かつて鶴橋にあった大きな総合病院で、その病院で助けられた中国の方々が感謝の意味を込めて作ったのがあの石碑なのでは?」と推測した。

しかし、その予想はハズレ! 歴史探訪プランナーの森なおみさんによると謎の石碑は、「医療従事者のために建てられた慰霊碑」。その医療従事者たちは、かつて大阪を襲った悲劇の際に、「命の危険を顧みず、多くの人の命を救おうとした大阪の英雄」だという。
悲劇のヒントは、北浜駅周辺にある。森さんは塚田と古川アナに、「黄色いものを探してください」「よそ見しないでし~っかり首を動かして探してください」とアドバイスした。


さっそく北浜駅を訪れた塚田と古川アナは、オフィスビルがひしめく一角に、長い歴史を感じさせる屋敷のような建物を発見した。ここは、黄色い容器がトレードマークの「ボンド木工用」で知られる、コニシ株式会社の旧本社であり、現・史料館だ。そこで塚田と古川アナは、「森さんの言う『黄色いもの』とは、誰もが知っているこのボンドなのでは?」と考え、館内を調査することに。

やがて塚田は、ふと、張子の虎に目が留まった。これは、健康と医薬の神様を祀る少彦名(すくなひこな)神社のシンボル。神農祭という祭りで、御守として授与されるものだ。塚田はそんな張子の虎に触れて、「(森さんのヒントの)首を動かすってこういうことじゃ……」「これだよ!」と主張した。

しかし古川アナは、「いやいや、かわいいけどね」「これじゃないと思います」「大阪の出来事と何が関係あるんですか」と笑いながら否定。一方で、大阪大空襲の焼夷弾が落ちた跡を2階の天井で見つけ、大阪を襲った悲劇=戦争と考えた。

塚田も戦争説に同意し、古川アナと最終予想を固めようとしたが、張子の虎の隣に書かれた重大な記述を発見! そこには、「1822(文政5)年、大阪でコレラが大流行」「それ以来『張子の虎』は病除けのお守りとして『神農祭』のシンボルとなっています」と書かれていた。

そのため古川アナと塚田は、「これ、もしかして正解じゃない? すごい!」「(でも最初は)めっちゃバカにしていたよね!?」と一瞬ワチャワチャ。最終的に2人は、「森さんの言っていた『黄色いもの』は張子の虎。あの石碑は、コレラと戦い、亡くなった医療従事者を讃えるもの」と考えをまとめた。

塚田と古川アナの推理の結果は、100点満点中……見事100点! 2人の推理通り、かつて大阪を襲った悲劇とはコレラのことだ。コレラは、上下水道がまだ整備されていなかった明治19年に日本で大流行。森さんいわく当時大阪では、「2万人の方が感染して、なんと1万5千人の方が命を落とした」そうで、死亡率81%という、全国で上位に入る被害数だった。

ちなみに、謎の石碑に刻まれた桃山病院とは、大阪初の感染病専門病院のこと。謎の石碑は、桃山病院でコレラ治療にあたって命を落とした、医療従事者たちの慰霊碑だったのだ。なお、塚田のおかげで解けた石碑の謎は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「古川×塚田のなんでやねん!?」6月17日放送回で紹介された。
