ダウン症の書家・金澤翔子さん 母の願いは娘に“居場所”を残すこと…親子2人3脚で40年 歩み始めた“新しい道”
「ダウン症の書家」として知られる金澤翔子さん(39・放送当時)。東京オリンピックのアートポスターを手がけるなど活躍を続けてきましたが、40歳になるのを前に新作の制作を終了すると発表しました。翔子さんが歩み始めた新しい道とは?
1985年に東京で生まれた翔子さんは、生後まもなくダウン症と診断されました。自身も書家の母・泰子さん(81)は、娘に友だちができるようにと自宅で書道教室を開業。翔子さんにも5歳のときから筆を持たせたといいます。
夫の裕さんとは、翔子さんが20歳になったら個展を開こうと話していましたが、翔子さんが14歳のとき、突然の心臓発作で裕さんが他界。その後、泰子さんは夫との約束を守り、20歳を迎えた翔子さんの個展を銀座で開きます。
「一回限り」のつもりでしたが、これが想像を超える反響を呼び、翔子さんは書家として注目を集めることに。NHK大河ドラマの題字や東京オリンピックのアートポスターなど数々の作品を手がけてきましたが、今年40歳を迎えるのを前に、その活動は大きな転換点を迎えています。
東京都大田区に昨年オープンした「アトリエ翔子 喫茶」。画廊を併設したカフェで翔子さんは週に6日働いています。全国から訪れるファンと楽しげに交流しながら、料理やコーヒーを運ぶ翔子さん。その一方、書の仕事は大幅に減らしています。
翔子さんは自分で紙や筆を用意できません。そして、翔子さんの動きに合わせて道具を移動させるなどのサポートは、娘の癖や性格を熟知した泰子さんにしかできないこと。80を超え、「終活」を考え始めた泰子さんは、「私がいなくなった後」の翔子さんの“居場所”を作ることにしたといいます。
【動画】書家として20年、想像を絶する努力を重ねてきた翔子さん。「ずっといろんなことを我慢してきた。辛抱してて偉い子」と泰子さんは労います。
翔子さんは人が好き。接客業に向いていると泰子さんが用意したカフェは、早くも地元の人たちの憩いの場に。実は翔子さん、カフェができる前からこの地域でおよそ10年間ひとり暮らしをしていて、ご近所さんともすっかり顔見知り。料理や洗濯、ご近所づきあいもひとりでこなし、日々の生活を楽しんでいます。
夕方、仕事を終えた翔子さんは泰子さんと待ち合わせ。レストランで一緒に夕食をとるのが最近の2人の日課です。ビーフカツを食べて「幸せ〜」とはしゃぐ翔子さんにほほ笑む泰子さん。「翔子にうんと“私は母親に愛された”って思いを残していきたい」と親子の時間を大切にしているのです。
5月末、京都の妙心寺で翔子さんの40歳の節目となる個展が始まりました。会場に並ぶのは、10歳で初めて書いて以来、10年ごとに取り組んできた「般若心経」。今回初公開される新作、40歳の般若心経は屏風11隻にわたる大作です。ほか、泰子さんにあてて書いた手紙などおよそ100点が展示されています。
観客の前で書を披露する「席上揮毫」には、およそ300人が集まりました。畳1帖ほどもある大きな紙に1文字ずつ、大胆に筆を走らせて書き上げたのは、力強い「飛翔」の2文字。観客の温かい拍手を受け、「泣かないようにがんばったけど」と感極まって泣いてしまう翔子さん。そんな娘を、泰子さんが隣でやさしく見守ります。
親子で手を取り合って歩んだ40年。多くの人に希望を与えてきた翔子さんと泰子さんは、これからは新しい場所で、新しい幸せを感じながら生きていきます。
ダウン症の書家・金澤翔子さんと母・泰子さんの、6月5日(木)放送の『newsおかえり』(ABCテレビ 毎週月曜〜金曜午後3:40〜)で紹介しました。『newsおかえり』YouTubeチャンネルで配信中
