大阪・河内長野に伝わる“黄金伝説”とは!? 河合郁人が「やった!やった!」→「まじか!」感情のジェットコースターで疲弊
大阪・河内長野には“輝きのない黄金の橋”という景気がいいんだか悪いんだかわからない橋があるそうだ。その名も黄金橋という心躍る響きにもかかわらず、実際のところその橋に一切の輝きはない。なぜ“黄金”の名を冠することになったのか? タレントの河合郁人とABCテレビのアナウンサー・古川昌希が今回も謎に翻弄されることに!?
【動画】河合郁人が「遊ばれた感じがした」と落胆の表情を見せた瞬間
黄金橋は河内長野駅の東側を流れる石川という川に架かっている。そこに向かう道中、2人は南北朝時代の武将である楠木正成に関する石碑を発見した。楠木正成といえば「なんでやねん!?」の過去回に何度も登場している、河内長野にゆかりのある人物でもある。なにか関係がありそうだと直感した古川アナは「覚えておこうかな」と記憶にとどめつつ、歩くこと数分で問題の橋に到着した。
実際に目にした黄金橋は、金色とは程遠く河合も「サビサビじゃん」と驚くほど。見た目がゴージャスなわけでもなく、住宅街から駅や商店街へ行くための用途にしか見えない橋になぜ“黄金”という名がついているのだろうか?
橋の周辺には、かつては旅館だったような雰囲気の建物があった。そういえば黄金橋に向かう道中でも「料理旅館 八重別館」という看板をくぐっている。旅館がいくつもあるということで、2人はこの辺りが昔温泉街だったという推理を働かせる。
さらなるヒントを求めて橋の東側に向かってみると、そこは「奥河内さくら公園」という大きな公園だった。長い階段を上った先の広場には、立派な遊具……だけではなく売店まで発見。ただの公園ではないことは間違いなさそうだ。
古びた動物のオブジェは、動物園などを併設した一大テーマパークだったことを伺わせる。さらに見晴らしのいい場所に建つ謎の回廊を発見した一行は、昔はここから河内長野が一望できたのではと推測。黄金橋はこの大きなテーマパークの入り口として造られたという予想を立てた。
ここで大阪の歴史に詳しい歴史探訪プランナーの森なおみさんに方向性を確認したところ、「遊園地じゃなかったですか?」と言う河合に森さんは「正解です」の一言。2人がテーマパークだと予想したこの公園は、その通りかつて長野遊園地と呼ばれる施設だったことが判明した。「やった!やった!」と喜ぶ河合だったが、森さんは「ただ……」と続ける。なんと、ここが遊園地だったことは正解だが、「遊園地と黄金橋は関係ございません!」とのことだった。
調査は振り出しに戻ったかに思われたが、森さんによると河内長野には黄金にまつわる伝説があり、黄金橋の名は“ある偉人にまつわる黄金伝説”が由来しているのだという。さらに公園から半径100メートル以内に答えに繋がる重要なヒントがあることも教えてもらった河合&古川アナは、黄金橋を渡った先の調査を行うことに。
黄金橋の先にはやはり昔旅館だったと思われる建物が多数残っていた。現在も営業している「天然温泉 憩いの宿 河内長野荘」を訪れ、支配人の硲(はざま)さんに話を伺ったところ、温泉自体は推古天皇の時代から湧出していたと言われていること、そして推古天皇や聖徳太子が薬湯として利用していた説があるということを知る。まさかの“偉人”の登場に興奮を隠せない2人。さらに温泉の色について確認すると、源泉自体は冷泉ながら「黄色がかった茶色」という話を聞き、黄金伝説とはこのことに違いないと確信した。
森さんと合流し、自信満々に「推古天皇も湯治にやってきたという黄金の湯が出たことから黄金橋という名がついた」と答えをぶつけたが、森さんの評価は「ゼロ中のゼロ」。予想外の結果に河合&古川アナは「ええええ!嘘だ!」と信じられず、落胆の表情を隠せなかった。
森さんが言っていたヒントは、2人がいた奥河内さくら公園の広場にあった。到着した瞬間、河合は最初に訪れたときは目に入らなかった「黄金塚」という文字が刻まれた石碑を見つける。
実はこの公園は楠木正成が作った出城「河合寺城」跡で、楠木正成がこの地に埋蔵金を隠して黄金塚が築かれたという伝承が残っていたのだった。その伝説にちなんで橋にも「黄金橋」と名付けられたということだ。
またしても最初の直感を信じ切れずに別の偉人の名に舞い上がってしまったことで100点を逃した2人。スタジオメンバーからは「雨の中0点と言いに行った森さんがかわいそう」と森さんに同情の声が集まった情報番組『newsおかえり』の人気コーナー「古川×河合のなんでやねん!?」6月11日放送回は、動画配信サービスTVerにて無料配信中だ。なお『news おかえり』は、毎週月曜~金曜午後3時40分よりABCテレビで放送中。