今回は暗号解読!「人ニハ|一」って何と読む?「七はか道」とは? 大阪・京橋に“クイズのような人気お墓”があるのは、なんでやねん!?
大阪・京橋といえば飲み屋街として有名だが、その一角に墓地があるのをご存知だろうか。A.B.C-Zの塚田僚一と、ABCテレビのアナウンサー・古川昌希が「京橋の飲み屋街に“クイズみたいな人気のお墓”があるのなんでやねん!?」という謎を解き明かした。
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今回の謎スポットはJR京橋駅から東に向かった飲み屋街の周辺にあるそうだ。さっそく歩き始めた一行は、不思議な雰囲気が漂う一角を発見した。フェンスで囲われたその場所には「蒲生墓地」と書かれた看板が立っており、許可を得て墓地内に入ることにした。
江戸時代からあると思われる墓地内をくまなく見ていると、塚田は妙な記載のある墓石を発見。大正三年に建てられたそのお墓には人の名前の他に「人二ハ|一」と不思議な文字が刻まれていた。
塚田は、この墓碑銘は故人が遺したメッセージなのでは?と予想。他に手がかりになりそうなものもなかったことから今回は早くも大阪の歴史に詳しい歴史探訪プランナーの森なおみさんに方向性を確認した。
たったこれだけの情報しかなかったにもかかわらず、2人の方向性は珍しく正しかった。森さんによると、蒲生墓地は江戸時代から現存する数少ない墓地のひとつで、謎のお墓の文字はそこに眠る花火師だった故人の信念が刻まれたものだった。大正時代、この珍しい墓碑銘を見るために多くの人が訪れたのだそう。
ただ、森さんいわく、実はこの墓ができる前から蒲生墓地は大阪指折りの有名スポットだったという。ではなぜ蒲生墓地が有名スポットだったのか? その謎を解き明かすのが今回のミッションとなった。ヒントは北区豊崎の源光寺の庭にあるのだという。
さっそく源光寺に向かった塚田&古川アナは、庭内で何かが記された石碑を発見。崩した字は自力では解読不能だったが、住職の力を借りつつ「七はか道」と書かれていることを突き止めた。さらに住職の話では源光寺は戦前まで現在のJR京都線が走る周辺まで敷地が広がっており、石碑はそのどこかにあったそうで、戦後に現在の場所に移されたということだった。
一行は戦前の敷地にこそ“七はか道”につながるヒントがあると確信し、JR京都線の付近へ。高架をくぐった先でまたもや墓地を発見すると、そこには「大阪七墓の壱 南浜墓地」と刻まれた石碑があった。2人は蒲生墓地も七墓のうちのひとつだったと推理する。
塚田は七墓は現在でいうスタンプラリー的なもので、七つの墓地を巡ることで長寿や恋愛、金運といった様々な運気をもらえたのでは?というトンデモ予想を披露した。目を輝かせながら突飛なことを言ってくる塚田に古川アナは「僕は今試されてるぞ。これは試されている」と慎重になったが、結局他に思いつくこともなく、渋々「蒲生墓地は“スタンプラリー的に大阪七墓を巡る人気スポットのひとつだった”とまとめた。
前回の「なんでやねん!?」で「0点と言い過ぎて口が『ゼロ』と形状記憶してる」とまで言っていた森さんの口から出てきた評価はなんと100点。本人たちもまさかの結果にキョドってしまう始末だった。
「大阪七墓」とは江戸時代の大阪を代表する大きな墓地のことで、無縁仏などを供養することで徳を積もうという“七墓巡り”が一大ブームとなった。鉦(かね)や木魚を叩きながら大集団で夜通し巡って念仏を唱えたそうで、江戸時代末期になるにつれ、どんちゃん騒ぎに近い盛り上がりを見せていたという。一時は定番のデートコースのような存在となったほどだったが、現在はそのほとんどが移転や開発などで消滅。京橋の蒲生墓地、豊崎の南浜墓地の2つを残すのみとなっている。
ところで、蒲生墓地の墓に刻まれた「人二ハ|一」のメッセージとは一体なんだったのか? 今回の謎と直接は関係なかったものの、塚田&古川アナはそのメッセージを実は森さんを待つ間に解読していた。その解答を聞いた森さんから、史上初となる200点が飛び出した情報番組『newsおかえり』の人気コーナー「古川×塚田のなんでやねん!?」4月9放送回は、動画配信サービスTVerにて無料配信中だ。なお『newsおかえり』は、毎週月曜~金曜午後3時40分よりABCテレビで放送中。