羽曳野市でベテランアナウンサーが渋るスタッフを説き伏せて立ち寄ろうとした場所で驚きの事実が判明 「街道しゃべ歩き」竹内街道編
ABCテレビの柴田博アナウンサーと中村想人アナウンサーが、古くから街と街をつないできた「街道」を歩きながら深い歴史や人の営みに触れ、街の魅力を再発見する「柴田・中村の街道しゃべ歩き」。今回は「竹内街道」の第4章をお届けします。
613年、推古天皇が大阪から当時の都・飛鳥を結ぶ道として整備した日本最古の国道「竹内街道」。大阪・堺市と奈良・葛城市を結ぶ約26kmの道のりです。前回までに堺市から羽曳野市へとおよそ13kmを歩いてきた2人。今回はいきなり寄り道からスタートです。
立ち寄ったのは、創業62年の老舗パティスリー。イチオシの「マダム・ヨーコ」はフランスのモンサンミッシェルの名物・オムレツにヒントを得て作られたというフワフワのスイーツ。併設のカフェで2人もさっそくいただきます。
さて、再び街道に戻ると、愛犬と散歩中の地元の女性に出会いました。竹内街道がいつものお散歩コースらしく、しばらく一緒にしゃべ歩きすることに。その道すがら、女性が教えてくれた人気のレストランに立ち寄ります。
こちらは築150年以上の古民家を改装したイタリアン。古い梁などをいかしたオシャレな店内を見学させてもらい、「ありがとうございました」と店を出たところで、とんでもないものを見逃していたことに2人はようやく気づきます。
それは、お店の目の前にある大きな古墳。実は店の窓からキレイに見えていたそうで、「しまった、もう一回!」と2人は店内へ。うっかり見過ごすところだったこの「白鳥陵古墳」が、なんとあの「ヤマトタケル」の古墳だとお店の方から聞かされて仰天します。
ヤマトタケルといえば、「日本書紀」や「古事記」に登場する英雄。亡くなったのは羽曳野ではないはずですが、なぜここに古墳があるのか? そんな2人の疑問に電話で答えてくれるのは、やはりおなじみのあの先生。大阪の歴史にくわしい、作家で古地図コレクターの本渡章先生です。
先生によれば、ヤマトタケルの墓は最期の地とされる三重県・能褒野町にあるとのこと。しかし、死後に白鳥となり、故郷である大和に向けて飛んでいったという伝説も。その途中で舞い降りたのが現在の羽曳野で、再び大和へと「羽を曳くように飛び去った」と伝えられていることが、「羽曳野」という地名の由来だそう。
ほかにもこの辺りには大小さまざまな古墳があり、「百舌鳥・古市古墳群」として世界文化遺産に登録されています。資材を運ぶのに便利だった道の周辺に古墳が集まるのは当然のことで、多くの物や人が行き交い、文化を積み重ねてきた竹内街道は「歴史そのもの」と本渡先生。中村アナは「今、私たちがいるのはこの(道の)おかげ」と街道が果たしてきた重要な役割に思いを馳せます。
またしばらく進み、古市駅付近に差しかかった2人はこの辺りの名産品を探すことに。通りすがりの地元の男性から、ブドウの産地である羽曳野の名産が「ワイン」との情報をキャッチし、俄然テンションが上がったのは柴田アナ。
実は柴田アナ、日本ソムリエ協会取材の検定試験に合格しているほどのワイン好き。歩いて15〜20分ほどの場所に有名なワイナリーがあると聞き、「全然行けます!」と向かう気満々です。
しかし、ワイナリーがあるのは竹内街道からかなり離れた場所。街道を歩くロケなのに「街道から逸れていいのか…」と渋る番組スタッフを「我々も明日への活力が必要です」とねじ伏せた柴田アナは、こちらもワインが気になって仕方ない中村アナとお目当てのワイナリーに向かいます。
到着するなり、「あ、僕ここ来たことあるわ」と言い出す柴田アナ。過去に一度訪れていたことをすっかり忘れていたという驚きの事実が判明しますが、そんなことはお構いなし! 2024年産のワインと、解禁されたばかりの今年の新作を試飲させてもらい、ここまで歩いてきた「ご褒美!」とばかりに幸せなひとときを過ごしました。
「柴田・中村の街道しゃべ歩き」は、10月9日(木)放送の『newsおかえり』(ABCテレビ 毎週月曜〜金曜午後3:40〜)で紹介しました。














