来春『おは朝』メインMCに!古川昌希アナ 「現場取材を続けて人の気持ちがわかる人になろう」中継リポーターとして心掛けていたこと
2011年にABC朝日放送へアナウンサーとして入社。翌年からは夕方のニュース番組を中心に約13年活動して、来春からは関西の朝の情報番組『おはよう朝日です』メインMCを担当することになった古川昌希アナウンサー。

普段からアナウンサー取材を多く担当するライター鈴木淳史が、古川アナのアナウンサーとしてのターニングポイントや報道ニュース現場での取り組み方などを聞いていく。
――古川アナと言えば、夕方ニュース番組のイメージがあるんです。
僕の夕方人生は、2012年10月にニュース番組『キャスト』内の1コーナー『なんでやねん!?』へのピンポイント出演から始まりました。2025年8月まで出演していたので、ほぼ13年ですね。
――例えば、朝や夕方、ニュースやスポーツなどジャンル分けするならば、1番担当したかったのは何ですか?
めちゃくちゃニュースを、報道をやりたかったです。『おは土』でも希望を聴いてもらって、ニュース解説をやらせてもらいました。今から思うと大それたことですが、池上彰さんみたいなニュースをわかりやすく説明することをやりたかったんです。逆にスポーツ実況は練習1日だけで無理と言ってしまい、背水の陣で…。だからこそ、ニュースに思いきってのめりこもうと腹を決めましたし、迷いは無かったです。

――ニュースを担当していく上で、目指すべき先輩という存在はおられましたか?
高橋大作さんという報道アナウンサーの立場として大きな壁がいて、2013年秋に大作さんの台風中継についていったのが、最初の現場でした。和歌山の白浜に向かいましたが、ここではこういう準備をするとか、どこに電話したら何を聴けるかなどを教えてもらいましたね。当時は全ての現場に大作さんが出動されていたので、『もし大作さんが出動できない時は、僕を使って下さい』とディレクターにも伝えていました。仕事はもらえるものではなくて、自分で準備して取りに行くものというのが、僕の時代では当たり前でした。

――自身のターニングポイントとなる現場はありましたか?
2019年の京都アニメーション放火事件です。すでに大作さんはアナウンス部から離れられていて、『なんでやねん!?』のロケで京都の別現場にいた時に第一報が入りました。1週間現場に入り、そこで報道の人たちから少しは信頼してもらえたように思います。2021年の北新地ビル放火事件では現場に行って10分後には中継でしたし、安倍晋三元総理の銃撃事件では奈良に昼から張り付きで入りました。また、2020年の熊本豪雨では、被災された方々に取材をするのは、とても負担をかけてしまっているということを考えました。
特別養護老人ホーム千寿園では水没したことで入居者の方が亡くなり、救出にあたった村会議員の方に各社取材していたんです。僕も取材に行ったら、『またか…』という表情でがっかりされて、それでも取材を受けてくれて、『よくよく考えて下さい』とも言われて…。報道メディアとは何なのかを悩み考えるきっかけとなりました。今年1月から阪神淡路大震災から30年が経ち、NHKと民放が一緒に『守りたい、だから伝える』というプロジェクトがあり、そこでもメディアスクラムについて考えたという話をしました。

――古川アナが夕方ニュースを担当していた時期は、横並びの他局では同世代アナウンサーがメイン司会を務められていましたよね。
読売テレビの中谷(しのぶ)さんは同期、関西テレビの新実(彰平)さんはひとつ下、毎日放送の大吉(洋平)さんは3つ上で、同世代がメインを張ってニュースを伝えているのは毎日観ていましたし、とても刺激になりました。でも、決して遅れを取っているとかは思わなくて、まだ自分が育っていないと捉えていましたね。自分は現場取材を続けて人の気持ちがわかる人になろうと、そして明確な言葉にしようと想っていました。
(後編へ続く)

【古川昌希アナの主な出演番組】
TV「おはよう朝日です」 ラジオ「おはようパーソナリティ古川昌希です」
(取材・文/鈴木淳史)
鈴木淳史(すずき・あつし) 1978年生まれ。雑誌ライター・インタビュアー。ABCラジオ『真夜中のカルチャーBOY』(毎週土曜深夜2時~3時)ラジオパーソナリティ担当。雑誌『Quick Japan』『Meets』など執筆担当。



