大阪・中津になくて曽根にあるものな~んだ? コンビニ前に佇む石碑に秘められた壮大な歴史とは?

阪急中津駅(大阪府大阪市北区中津)近くのコンビニ前には、謎の石碑がひっそりと佇んでいる。周囲はオフィス街で、歴史的な何かがあった雰囲気は一切感じられないが、ある壮大な計画がこの石碑に関係していた! さらに、謎の舞台は中津から豊中市の曽根へ移り……!?

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コンビニ前の石碑には、萩の花も咲いていなければ、川も、橋もないのに、「元萩之橋」と記されている。石碑近くの土地には不自然な起伏があるため、ABCテレビの古川昌希アナウンサーはタレントの河合郁人とともに、「ここに川が流れていて橋があって、その名前が萩之橋だったんじゃないの?」と考えた。

しかし、その予想はハズレ。歴史探訪プランナーの森なおみさんいわく、「(コンビニがある場所は)その昔、能勢街道で、そこをまたぐ川にかかっていたのが萩之橋」とのこと。近くにはかつて、「萩の花がたくさん咲いている“萩の寺”があった」そうで、その寺こと東光院萩の寺は、「南の四天王寺」に対して「北の萩の寺」と呼ばれるほどの一大観光地だったらしい。

そんな萩の寺は、“ある理由”で中津から豊中市の曽根に移ったのだとか。その理由を推理してもらうべく、「中津にはなく曽根にあるものを探してください」と、森さんは河合と古川アナに呼びかけた。

さっそく河合と古川アナは、阪急中津駅から5駅先の曽根駅にある萩の寺へ。2人は、「相当昔に(萩の寺は)移動してきたんだろう」と考えていたが、実際の移設年が大正4年と知り、「時代が思っていたよりも最近」「そんなに大昔じゃないんだ」とビックリ。猛暑で辛いのか、調査は寺の出入り口付近でとどめ、曽根駅の南西側へ向かった。

やがて河合と古川アナは、市指定文化財の原田城跡を発見。敷地内には、住友系の役員だった羽室廣一氏の元邸宅で、国登録有形文化財にも指定されている旧羽室家住宅があった。

旧羽室家住宅を案内してくれた職員さんいわく、戦前の曽根は、「西の芦屋、東の曽根」と言われるほどの高級住宅街だったのだそう。この話から古川アナは、中津になくて曽根にあるもの=高級住宅街と推理。「(当時何もなかった曽根の)街を大きくするために中津にあった萩の寺を誘致した」と、河合とともに考えをまとめた。

河合と古川アナの推理は、100点満点中……10点! 中津になくて曽根にあるものとは、毘沙門天のこと。2人が調査しなかった寺内の毘沙門天に関する説明版には、「阪急電鉄は沿線における七福神巡拝を企画せられるや沿線七福神の第1番に推戴さる」と書かれてあった。つまり、寺の移設に深く関わっていたのは阪急電鉄だったのだ。

森さんによると、「阪急宝塚線が開通して、このあたりは地域活性が進んだ」そうで、「(阪急電鉄創業者の)小林一三は、当時は何もないこの曽根の街に何か核になるものがないかなと考えた」という。そこで小林氏が目を付けたのが萩の寺。彼は、住民の心の支えとして、1つの駅に1つの寺が必要と考えていたのだとか。当時の曽根は田園地帯で特に人が少なかったため、人を呼び込むために有名な萩の寺を中津から曽根に移したのだった。

壮大なスケールの計画を実行した阪急電鉄に、河合と古川アナは驚きまくり。「七福神巡りってそういうことか。阪急の最寄りにあるお寺や神社に行ってくださいっていう……ある意味戦略」「(小林一三は)スゴイ人だとは思っていたけど相当スゴイ人だね!」「お寺まで動かすとは……阪急恐るべし!」などと、2人ともしみじみ呟いた。

なお、元萩之橋の石碑の謎は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「古川×河合のなんでやねん!?」7月22日放送回で紹介された。

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