大阪・堺の橋の上に謎の“ポルトの像”…その理由に河合郁人が涙? 見つめる先にあるものとは
大阪・堺には、橋の上に住民から愛される像が立っているそうだ。南蛮人を模しているこの像は一見するとただのオブジェにしか見えないが、驚きの事実が隠されていた。いったい何の目的で橋の上に像が置かれることになったのか? その理由に迫ったタレントの河合郁人とABCテレビのアナウンサー・古川昌希は、まさかの事実に「えっ!?」と驚きを隠せなかった。
【動画】なぜ橋の上に南蛮人の像が!? まさかの理由に河合郁人の目に涙
謎の像は大阪・堺の南海電鉄堺駅のすぐそばにある。一行は歩き始めてすぐに駅近くの橋のど真ん中に凛々しく立つ像を発見した。川を眺めるように橋に立つ像はその名を「橋上(はしのうえ)ポルト之助」、愛称はポルトというそうで、NPO法人が公募した中から決定したという。
立派なヒゲをたくわえ威厳すら感じるポルトは、橋の上で一体何をしているのか。明らかに川の流れる方向を見ているポルトの目線の先に、2人は古びたレンガ造りの土台のようなものを発見する。川の両岸に残る様子から“駅か船着き場だったのでは?”と予想しつつ近づくと、詳しい説明が書かれた歴史看板もあり、このレンガは南海電鉄の橋脚跡であったことが発覚。明治頃のものであり、ポルトガルと交流が始まり堺が南蛮貿易で栄えたポルトの時代とは関係ないということで、調査は振り出しに戻った。
河合&古川アナは、さらにポルトの目線の先に調査範囲を広げ、勇橋という橋の周辺へ。そこで2人は時代的に近そうな“ザビエル”という名の公園を発見する。公園までの経路で川が途切れなかったことや、公園の説明看板に“環濠都市”という記載があったことなどから水運が関係すると確信すると、「ポルトは海から送られてきたものが町に運ばれていく様子を見守っているポルトガル人」がモデルなのではと予想した。
ここで歴史探訪プランナーの森なおみさんにここまでの方向性を確認したところ、なんとまったくの「とんちんかん」。ポルトが立つ南蛮橋は1987年に堺駅が高架になったときに橋とセットで造られたもので、さらにポルトに特定のモデルはいないのだという。しかし、ポルトは単なる“像”ではなく橋の上である役割を果たしているそうだ。勇橋にヒントがあると言われた2人は、「何かあったっけ?」と途方に暮れながらも再び勇橋へと戻った。
ここで河合は、先ほど気になっていたという勇橋の欄干に着目。勇橋の中央付近の欄干は一部が鳥の形をしたオブジェのような形状になっていた。ポルトも橋の中央に立っており、河合が「カラス除けじゃないよね…」とまさかの予想を口にすると、古川アナは爆笑しつつも「そういうことだと思うんですよ、役割って」と意外にも“あり”の反応。一方で、ポルトが橋の内側ではなく外側を向いていることから、川をクルージングする船から撮影するためのフォトスポット案も浮上した。
いずれにせよ“スタジオで笑われる”解答だと自覚のある2人だったが、改めてポルト像を確認しても「そんな深い意味はない」という意見で一致。「鳥除け」か「フォトスポット」以外に思いつく答えもなく、最終的に「堺の町の歴史にも触れられ、写真も撮れるフォトスポットの役割」という予想を森さんにぶつけたところ…。
案の定、評価は「0点」。森さんは毎度の点数に「形状記憶してる。『口がゼロ』って」と呆れるばかり。
とはいえ、真相も意外なものだった。南海電鉄堺駅が高架化する際に造られた南蛮橋は、その話題性を高めるために南蛮人像を造ることにしたそう。しかし、道路法では橋の上に柵や標識といった道路に付随するもの以外は置いてはいけないと定められている。これでは像を建てられない。そこで、ポルトの「手」と「足」を欄干にくっつけ、“像”ではなく“欄干の一部”であるという苦肉の策で無理矢理この規定をクリアしたのだった。つまり、ポルトの役割とは、橋の“手すり”という答えだった。
まさかの結末に河合も「涙出てきたよ」と笑うしかなかった情報番組『newsおかえり』の人気コーナー「古川×河合のなんでやねん!?」4月2日放送回は、動画配信サービスTVerにて無料配信中だ。なお『newsおかえり』は、毎週月曜~金曜午後3時40分よりABCテレビで放送中。